我が子のこれからに願うこと。
娘が小学校、息子が幼稚園に進学して、あっさり1か月が過ぎました。慌ただしく過ぎました。あっという間でした。小学校に関しては運動会さえ終わりました。
2人ともそれぞれの新生活を楽しんでいるようです。
そしてわたし自身が子どもたちに望むふたつのことがあります。
とにかく友だちと遊ぶこと。
わたしが愛してやまない佐々木先生はあらゆる友達遊べる期間は意外と短いと著書に記されています。
というのも、一人遊びや並行遊びから友達と遊べるようになるのはおおよそ3~4歳。その後小学校にあがり、9~10歳にはギャングエイジというものが存在します。このころには気の合う友達同士が集まる、いわゆるグループが現れるようになります。つまり、その間わずか5年程度。気の合う子合わない子関係なく遊べる時期は人生のうちで10年もないのです。そしてこの時期にいろんな人とかかわりを持つことが、大人になってからの社会性に大きく関与するというわけです。
親としてちょっと乱暴な子や言葉遣いの悪い子と付き合わせるは少々不安に感じることもあるかもしれません。ただ、この時期の多数のかかわりによって「こういう人もいるんだ」という感覚を幼いうちから身につける。今、大人になって、この考え方がいかに役に立つを痛感しております。
自分の存在価値は人間関係の中にしか生み出せないものですからね。
いろんな友だちとたくさん遊んでくれたら嬉しいと思います。これから先は親より友達が果たす役割も大きいですからね。
五感を大切に。
昨今、メディア(テレビ、動画等)視聴は我々の生活に必ずしも存在するものになってきました。しかし、これらに潜む危険には誰も触れないのです。
核家族化、ワンオペ育児
昔は祖父母や近所の人たちと当たり前にあった繋がりが今はパタリと少なくなりました。母親の負担が大きくなりました。その結果、機械に子守をさせてしまうようになりました。メディアを否定することは養育者の負担を倍増させることに繋がることもありうる。だから、危険の警鐘にはどうも慎重になってしまうのです。ここ打開策が重要課題でもあるような。
我が家は平日ほぼテレビが付きません。テレビを見ない我が子ですが、友だちからの情報で近頃の流行をわたしより知っています。これはこれでコミュニケーションです。
テレビをつけないのですが、我が家はラジオがついています。聴く力が育ちました。(娘は興味ないことは聴いてないけれど)
多少時代遅れかもしれません。でも、こんな我が家でもいいよね。って思ってます。
メディアとなると視覚情報が過剰になります。大人が思っている以上に刺激が強いのです。だからと言って、視覚機能・視空間機能が育つわけでもありません。すべてが受け身の世界。聴くことも、触れることも、匂いを感じることも、味わうことも、すべて均等に必要だなとわたし個人は思います。その五感をもって「感じる」ものです。この五感と第六感をうまく自分の味として取り入れてほしい。豊かな人間の土台になってほしいという、親のエゴ。
今回はあえて詳しく触れませんが、ブルーライトによる言語機能の遅れについては多数報告があり、ただの脅し文句ではないようです。
まあ、こんな理論はさておき、我が家のメディア視聴が少ないのは、その時間がもったいないから。というのが第一の理由です。
フルタイムで働くわたしにとって子どもといられる時間は少ない。一緒にご飯の準備をしながら今日あったことを聴きたいし、カードゲームや、体遊びの時間がほしい。そう思うと30分のアニメを見る時間さえもったいないと思ってしまったのです。母ですから、うまくいかないときだってありますが。
テレビ見るなら一緒に見ます。共有します。見せるならちゃんとコミュニケーションに繋げたい。根本はやはりそこ。
こんなうまいこと言って、月に2,3度は堂々と両親に子ども預けて自分時間堪能しております。笑
いつだって思うのです。
子どもの未来は幼少期の親子関係にかかってるって。友だちという外の世界に行けるのも結局は親子の土台ができているからこそ。
たとえ子どもを怒鳴っても、大ゲンカしても、そんなことで親子関係破滅しないっていう関係が最終的にできたらなって思ってます。
我が子にこうなってほしいと願いながらもそうさせることができるのもまた我々親なのですね。
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