経営者モーニングセミナーを拝聴させていただいて
おはようございます☀ misaです。
今朝は、ありがたい誤嚥(変換ミス。セラピストあるある。)…ではなくご縁の積み重ねで、経営者モーニングセミナーを拝聴させていただく機会を得ました。
晴れやかな空の下で瞑想をしながらリモートでお話を拝聴しましたが、司会の方やスピーチ、講和をされる方すべての方のお話はもちろん、身なりや声色、心の姿勢が素晴らしく、またお話中の静寂とレスポンスから、真摯にお話を聞いていらっしゃる聴講者の方の姿勢までを感じ、背筋が正される思いでした。晴れやかな空と太陽の陽射しの中、澄んだ心で軸がしっかりして腑に落ちる。とてもよいヨーガのプラクティスができたときのような心の置き所になりました。
師匠が言っていました。真実を理解することでヨーガの目的は達成される=知識のヨーガ。そのかけらを感じることができたような気がします。
そして、講和の中でとても印象に残ったお話がありました。昔その方が先人に相談したときのことです。因縁のあった方と再会することがありそうだったそうで、そのときに、どう対応したらいいかと問うと、先人からの言葉は「ありがとうと言いなさい」というものでした。その時は、まじか!と思ったそうです(笑)。本当につらい経験をしたことを、自分の中でよい方向に転換するには、その経験があったからこそ自分が成長できたとそのことに感謝できる器を持つことしかない。ということでした。時がたち、ある日いつも大変なことがあった時に1人で考え事をしていた場所に久しぶりに行ったとき、過去に不快な言葉をかけられ続けた人に対する許せなさをもういっかと手離せる気持ちになれたことがあったそうです。そうすると、次の日に、その相手から数年ぶりに突然電話がきて、その内容が大きな仕事の依頼で、その仕事があったことで、このコロナ禍の窮地をかなり助けられたそうです。
お話を聞いていて、その方の今の心の大きさで、許せない気持ちを手放したことで感謝する方向に導かれた。のだと思いました。そのようにその人の器というものは在る。ということなんだなあと。
わたしの中にもずっと許せない思いがあって、それを手放して感謝しないとなあと"すべき"で捉えていたことがありました。実際、過去に因縁があった人と街中ですれ違ったことがありましたが、その人を見た時に、ざわざわする気持ちがあって、心の中でだけでも、ありがとうはまだ無理だー(笑)と思ったことがあります。ですが、心や身体を整えて日々を実践していると、だんだんと許せなさが剥がれてきて、前よりは自然ともういいやと思えるようことが増えました。まだありがとうとまでは思えないことが実際ですが、導かれるのだなあと思います。
ダルマを守るものはダルマに守られる。ヨーガの教えにこんな言葉があります。これは、自分に与えられた役割や行い、自分の置かれたところでふるまうべきことをしっかりと守っていると、自分の行いは周りと調和してうまくいくようになるということです。(私のつたない理解での説明ですので、ここの理解を深めたい方は、ヴェーダンタの伝統の系譜の先生から学んでください。)このお話を聞いて、私はこの教えを思い浮かべていました。
そして、私のような事業を経営しているわけでもない初めての参加者にも拝聴後のシェア会で発言する機会を頂き、皆様から温かく迎えてくださる気持ちを拍手で頂いたように思います。とてもありがたい経験でした。
本気で学ぶ意思がある人には誰にでも開かれる人生の学びの場で、その人それぞれのタイミングや経緯でこの学びと出会う。この会につないでくださった方のお1人が私の参加の経緯から、お話してくださったことです。ヴェーダンタもそうですが、人生を成長させるための知識を本気で学びたいという想いがあれば、立場や役職などを越えて、シェアをしていただけることがとてもありがたいことだと思います。そして一緒に学ぶ多種多様な仲間がいる。義務でやらなければいけないものではないけど、それを続けることに意味がある。そうお話しされたことにもすごく共感して、私は今この学びと出会えて背中を押していただいたような思いでいます。
いつも前進しようと決意をするとたくさんのものに導かれます。それらを生かすも殺すも日々の自分の実践からくる選択と行動次第。
常に信頼できるヒトモノコト、情報を選んでその中にいて、自分の望む自分であれるようにいようと改めて思いました。
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