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わたしの正論とあなたの正論

相手とぶつかってしまった時、ちょっとしたすれ違いが生じたとき
プライベートでも仕事においても、自分の正論や、常識を相手に伝える事ってあると思います。

こういう時に限って、「イラ」「怒り」「悲しい」こうした感情とともに、分かって欲しくて、もう必死に、わぁーーーーっと伝えてしまうことが多くて、正論を述べたつもりが、ただ相手を攻撃するだけになってしまったり。火に油を注ぐことになったり。

本当は、相手と分かり合いたくて、とったコミュニケーションなのに…

先日、ある相手に

「あなたのやっていることは一般常識的にあり得ない。その行動によって私はすごい悲しい思いをしている。もっと考えて欲しい。」
(実際の言い回しとか量も違いますが、まとめるとこんな内容)

と、伝えました。その回答で返ってきた言葉は
「一般常識とか、相手を思いやるより自分の体裁を気にしているとか、それはあなたの世界の話し。私には私のこれまでの積み重ねと出来事があって、そのストリームライン上で今の事が起きている。だから根本的にものごとの捉え方が違ってしまっているし、問題視していることも違っている。」
(これも実際の言い回しとか量も違いますが、まとめるとこんな内容)

と。この返信来たとき、「は!」っとしたというか、目が覚めたというか、まんまと私もトラップにはまって相手とぶつかってしまっていたなと、思わず「ふふふ」って笑ってしまったんですよね。

「そうだったー!この人私とは別の世界に生きているんだった!」

相手に抱いた負の感情とか、自分の正論が通らない苛つきもどこかに行きました。

相手とぶつかる時、相手の事が理解出来ないと悩むと時というのは、大いにして自分の常識がその考えの根底にあると思います。
こうした常識、物事の考え方は、生まれ育った環境、これまで関わった人達の影響を受けて構築されています。なので、自分と違う人生を歩んで来た人は、もちろん自分とは違う物事の考え方、判断基準、常識をもっているわけです。

私は会社員人生を長く歩んで来てということもあり、自分が「常識だ」って思っていることが大半の人にとってもそうだったり。仲のいい人達は必然的に、考え方や、感覚が近しい人が多くなるので、私の意見に賛同してくれる訳ですよね、そうすると自分の常識があたかも全世界の常識のような感覚に陥って、たまに違う考えにあうと、「常識外れ」「何考えているか分からない」「なんでそんなことするの?」ってなるわけです。

国籍とかそんな単位ではなく、人はそれぞれ自分の世界を持っているのです。そして、その世界の中で、自分に出来るの判断と行動をして、みんな毎日一生懸命生きている。

出来るだけ意見の衝突が少ない、考え方が近しい人達と過ごすのもあり。
みんな別々の世界の人なんだ!と思って、自分とは違う考え方を持った人と過ごすのもあり。どちらにしても、こういった事を踏まえて、双方にとってストレスレスで穏やかな人間関係を築く、選択出来るようになりたいもの。


こんな事を思ったあと、【優しさとは?】っていうインスタのストーリーを見て【優しさ】の言葉の定義を自分なりに考える。

「相手の世界に触れようとすること」

これが、今の私にはなんだかしっくりくる。
正論をぶつけるということは、相手の世界に土足で入って地面を踏み固める行為に近いのかもしれない、そう思ったら丁寧に丁寧に、相手の世界に触れたいな。

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