父がホワイトデーにくれたダサい小さなハンカチが、いまだに捨てられない。
2月7日、父の命日でした。
20代前半の私は、今の私もまだまだですが、未熟で周りが見えていなくて、どこかで偏見を持ち、自分は「普通」であると信じたいという魂胆が見え見えだった気がします。
ひとの幸せは、目に見えないし、私の幸せも、目に見えない
亡くなったのは私が22歳の頃。まだ同い年の子達が4年生の大学を卒業していない中、亡くなっていった父。これから当たり前のように私は仕事を頑張って、当たり前のように"普通に"親孝行を、順番にしていくのだと思っていました。
末っ子で甘やかされて育った私を、もしかしたら心配しながら亡くなったかもしれません。
当初は、「父はたくさんの子どもを育てあげ、何不自由なく暮らさせてくれて、年金でゆっくりと老後を過ごす前に亡くなってしまって、きちんと幸せだったのだろうか」と、思っていました。
そう考えてしまうほど大切な人へは、生きているうちに聞いたらいい。
そして自分が生きているうちに伝えた方がいいと思います。
大切な人たちには、たくさん愛してると、すごく大切だと伝え、会える時間を設けようとすぐに努力するようになりました。明日生きていることは当たり前じゃない。
「私の人生、普通以上には幸せだ」について
自分の人生は「普通」というレールをきちんと走っていると信じてるうちは、とてもあたたかな場所にいれるものです。
この年齢でこれぐらい稼いでいたら「普通」だ。この年齢で2年付き合っている彼氏がいるから「普通」だ。「普通」はこんな男とは付き合わない。「普通」はこんなことを言わない。
普通という幻想にしがみついていて、その中に自分が入っているのだと思っているうちは、安心ができます。そしてその幻想にしがみつくから、自分を、誰かを、許せなくなる。そして自分が「普通」以上だと思いたいから誰かを攻撃したり、正義を振りかざすものなのかもしれません。
でも、その幻想は突然なくなる。幻想だからね。
だから私たちは誰かに人生の舵をとらせてはいけないのだと、人生は自分の思い通りになるわけではないなかで、時には目を閉じながらでもいいから漂いながら過ごしていくということを、教えてもらった。それが父が亡くなった経験だったのかもしれないと、今なら思えます。
6年が経った今。
こんなにもお酒が飲める旦那と結婚するなんて思ってなかったでしょう。
父が好きで得意だった写真を仕事にしているなんて思わなかったでしょう。
この人生を見せてあげたかったなと、ふと思う時があります。
何かをしてあげたり、何かを与えられなくても、私は幸せだぞ~と、見せてあげたかった。絶対に叶わないし、そしてそんな自分が不幸だとも思っていません。誰しもが、必ず経験すること。
ひとは、生まれた以上は、いつかいなくなる。
それでも私がそう思い返すことが、大切だと思うから。
体はこの世にいなくても、私が思い出す限り、その人は大切にされている。
人生は思い悩むことの連続で、どうしてこの辛さを受け止めなければいけないのだろうと思うほど悲しいこともあるけれど、そういった経験はより私という人間を奥深くし、また何かを繋いでいけると信じています。
チョコレート
父よ、私は元気にしています。
今年は、結婚式を予定しています。
父が亡くなったときに、結婚式はもうしなくてもいいのかもしれないなんて思いました。だって、一緒にバージンロードを歩けない。別に仲がいいわけじゃなかったけど、それでもきちんと感謝をしていたから。
私のこれまでを支えてくれていたことを、結婚式で伝えたかった。バレンタインに、チョコレートをあげると何年も冷蔵庫の一番上の棚に大切にしまって、全然食べてくれなかった父。それぐらい、大切な娘だと思ってくれていたのは知っていたから。
見せられるからとか、伝えられるからとか、物質的な理由でなくていいなと、やっと思える。
人生は乗りこなせるほど、思い通りにならない。自分がこうしたいと思ってなれるものばかりでなくて、いろんな偶然が重なって、こうして生きているとだんだんわかってきた28歳。
大事な友人たちに感謝を伝えるために。そして、見ているかもしれない父に「父よこんなに娘は幸せだぞ」と自慢するために、楽しい式にしようと思います。
毎年2月に父のことを思い出して、バレンタインデーだなぁと思ってチョコレートをお供えして。そしてチョコレートが大好きな私は、父と違ってすぐに私はそのチョコレートを食べるのだと思います。そんな人生だといい。
2024.02.07 Misa Utsunomiya