入籍して、僕の苗字が変わって。
5月、先代の愛犬の誕生日に入籍をしました。
妻とは15年近く事実婚状態だったのですが、やっと法律上でも家族になることができました。僕は妻の戸籍に入ったので苗字が変わりました。
今までの自分からのアップデートとしてとらえていますが、それをとりまく手続きの大変さには少し閉口しています。
・戸籍の名義変更 → 済んだ
・住民票の名義変更 → 済んだ
・健康保険証の名義変更 → 済んだ
・運転免許証の名義変更 → 済んだ
・年金関連の名義変更 → 届け出はしたけれどまだ変更されていない。
・印鑑の再登録と実印変更 → 済んだ
・診察券の名義変更 → 全部済んでいない
・銀行口座の名義変更 → まだ
・マンションの管理会社への連絡と契約名義変更 → まだ
・公共料金の名義変更 → まだ
・任意保険の名義変更 → まだ
まだ、あるのかな。。。ふぅ。。
ただ苗字を変えるだけなのに本当に、本当に、たくさんの手続きが発生します。僕自身は何も変わっていないのに、です。あらためてこれまで社会が女性に当たり前のように強いてきた(そして現在も強いている)ことの不合理さを実感しました。
ところで、日本での選択的夫婦別姓制度の議論は遅々として進んでいません。
記事によれば厚生労働省によると夫が妻の氏を名乗るケースはたった4%だそうです。でも、そう言われると何だか、誇らしい気持ちにもなってきます。
夫となる僕が姓を変えたことでとてもよく分かったことがあります。
それはこの国のシステムが「個の尊重」に基づいて作られていないという残念な事実でした。「個」の尊重という概念が上位になく、共同体を維持するための都合が優先されるという考え方が21世紀に至っても根強く残り続けていました。つまり今だに「大きなムラの中の論理」が幅をきかせる国(それを国と定義づけることにも何だか抵抗を感じますが)なんだなと。。。
今、僕はある教育系コミュニティのお手伝いをしているのですが、近年頻繁に耳にする新学習指導要領(2020年度から導入開始)には「主体的・対話的で深い学び」を重要視すると書かれています。
うーん、なんかちぐはぐです。
だって、「主体的・対話的」な学びって、個の人格への尊重が前提になければできないことだと思うのです。もちろん、社会生活上では意識改革は進んでいます。けれども法律が厳に否定しているのに同じ国の機関がそんな学びを子どもたちに提供できるのでしょうか?
ダイバーシティ、ジェンダーレス、LGBTQ、SDGs。。。多様性を謳うキーワードはこの国の中でも、目に、耳にするようにはなりましたが、
足元はまだガチガチに固められているんです。
そのことに誰もがもっと自覚的にならないといけないと思います。
僕たち夫婦も選択的夫婦別姓制度の成立をずっと待っていました。でも、もう待ちきれませんでした。終わりの見えないコロナ禍。罹患したら明日、死んでしまうかもしれない。そんな中では家族を看取るためには法律上の証拠が何よりも大切になります。
決して後ろ向きな選択ではありませんでしたが、僕が妻の姓を名乗ることでその証明が得られればいい。これも今回入籍した理由の一つでした。
選択的夫婦別姓制度の議論が進むということは、つまり、この国に住む一人ひとりの「個」「人格」が最大限に尊重される社会になっていくことと同義ではないでしょうか。
僕が「僕」である。私が「私」である。そして、あなたが「あなた」である。
そんな当たり前のことが大切にされる。
そうなっていくことを僕は心から願っています。
イラスト:しろまるんさん
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?