mirumin(みるみん)
定期的に詩歌やテーマを決めないエッセイを発表しています。これまでinstagramやfacebook、twitterなどで発表してきたものも再掲載。
主夫である「僕」の視点から、何気ない毎日の暮らしの喜びや心象風景、感じたことなどを綴っていきます。
忘れられないお菓子にまつわる思い出をまとめたエッセイです。
主役でもない僕が 生き残り 戦果の中に 立ち続けた兄が今日 死んだ 歓喜の地平線上に ふいの 体温だけ残して 逝く前に見た景色と 今あちらから見える景色は きっとそんなに変わらないはずだが 僕は たぶん これからも こちら側から 残像を 見上げ続けていくのだ
紫陽花は おかれた処で 根を張りて 鮮やかに咲く 君らのように ヤマモモの 咲く庭見える 家に住み 気づけば八つも 命削りて お前ほど 金も力も ないけれど それでも猫は 生き延びてゐる この花の 名前も知らぬ わたくしは 何を頼りに 歩いているの
ぼくは ソラににいける? ソラにいけない? ソラにいける? ソラにいけない? いきてるうちに ソラにいける? いましんだら ソラにいける? ソラはいつでもアヲくて そして いつまでもとおくて その くらいさきをおもうと クラクラとするから ソラににいける? ソラにいけない? ソラにいける? ソラにいけない? ぼくはいきているあいだ きつと ソラにはいけない だつて どこまでもアヲくて はてしないさきをおもうと ナミダがでるから ぼくはいつか ソラにいける? どうし
converseを探してた 池袋東口から 線路沿いの細い道にでる ソープランドや ストリップ小屋や 覗き部屋やらを 横目にして 20歳の僕は converseを探してた 古びたボーリング場の ビルの一階にある 東京靴流通センターに ずっと漂っている 薬品のような匂いを 嗅ぎながら 20歳の僕は converseを探してた 手に取った一足は どうやら僕の知っている converseだろうと思うが 似たような靴もいっぱいで やけに値段が安すぎて 僕はどうにも心配になり 店
カウンター越し働くひとの立ち姿 グラス洗う手を見つめて詠う 僕は身体を使って 働くひとが好きだ 頭で考える仕事はだめだ あれは実際働いてはいない 働いているという錯覚に 気づかずにいるひとたちだ 身体を使って働くことは 人間の根源にある動作だ やらずにはおれない衝動だ 身体の芯から指の先までも ピンと張って力を込める 美しい動作だ 頭で考える仕事はだめだ あれはよくない 身体を使う仕事は その着ている汚れたシャツでさえも ピカピカと輝かせる それこそ、ほんとうの仕事だ
ほんとうにいつか殺してしまうよと わたしの中の鬼嗤う Chocolat味ビアグラス越し見える空 オザケンの唄が弾んで溶けて 好きなもの原田知世にピチカート バランス悪いね、そう五十過ぎ 父母が夫婦になりし如月に 我も産まれたなんだか嬉し 冬枯れの幹に触れた手暖かく 君抱きしめた日を再び想う 息継ぎを繰り返すたび思いだす 魚は僕で君は海 梅は咲く桜は散るが定めなら 僕の姿はどちらだろうか 採血の血の色をみて看護師は ふふと笑つて我が針を抜く リードごし共に歩ける
昨日今日明日ビールの杯重ね 今よりけして戻らぬ刻愛し 簡単でいいよと言われパスタ茹で アルデンテなぞしてやるものか あばら見せ立つる枯木や伸びる枝 さくら色をばちょいとのせ いいね馬鹿押す馬鹿ばかりスクロール 僕も馬鹿だと気づかずに居る 泣く声にたまらず顔やれば うるむ眼見上げる亜子や 知り合いかスマホに問われ 振り下ろす我が手いつ叩きつけるか 蒼き空真一文字に切り裂いて 飛ぶ機械鳥ぐんぐくん
もう、長いこと新聞をとっていないので最近のことは知らないが、今も元日にはたくさんのチラシが折り込まれているのだろうか。 子どもの頃、朝起きて届いた元日の朝刊にはこぼれ落ちそうなほどのチラシ束が挟み込まれていた。変わり映えのしないテレビに飽きた僕は、母が灯油ストーブの上で炙ってくれたあんころ餅や干し芋を頬張りながら、お目当てのおもちゃが載ったチラシを表から裏へと舐めるように読み、もらったばかりのお年玉の使い道を考えていた。 中学生になれば関心はおもちゃから洋服へと移り変わっ
時給1080円のバイト ちまちまと箱詰めするバイト 始めも 終わりも なく 時間がくると オツカレシター! ひときわ高い声で宣言する 決して戻らない 時の対価が笑う 僕は深呼吸する いつまでも 息を止められているように 大きく 深く いつまでも 息を止められているように 首を絞められながら 必死に笑う それが僕の全て キガクルイソウダ
好きだよ 好きだ 好き 君の首筋が好き 皮膚の下で流れる 青白い川 いくつもの支流 きみの歯茎が好き ほんのりと色づく ほの紅い粘膜 見たことない場所 君の眼球が好き 暖かく濡れ チョコもとろける 母の眼差し 君の舌が好き 咀嚼するほどに 濁る液体 一條のひかり 我慢ができない 僕を 許して下さい 好き 好きだ 好きだよ 好き
呑み会が終わって 君に笑顔でさよならするとき 僕はいつも 心のどこかを切り取られたように 思う。 君はさよならをする そして君のうちへ帰る メイクを落として 寝巻きに着替えて トイレに行ってから 午後の授業まで 眠るのだろう。 いつも集まるBARで 夜通し騒いで外に出るとき 僕はいつも 差し込む朝の光に犯されたように 思う。 君はさよならをする そして知らぬうちへ帰る そのメイクのままで 誰かに抱かれて トイレに行ってから 夜の集まりまで 眠るのだろう。 また明日ね
里帰り(さとがえり)は、妻が結婚後 初めて実家に帰ることである。当然実家に帰ったのちは、婚家に戻る。 伝統的風習の一形式としては、結婚ののち3日目、また5日目に夫が妻を妻の実家まで送り、夫は婚家に帰り、妻は自分の実家に宿泊し、翌日、妻の母が妻を夫のいる婚家に送り届けるいうふうであった。(Wikipedia) もうお盆も過ぎてずいぶん経つので、今更感もありますがちょっとだけ聞いてもらえたらって思って書いています。 今年はコロナによる移動規制が緩和されたこともあって故郷に里
ふいに魂が澱んだので 息継ぎするために上を向く 夏の空はないし もう、君もいないしね 不透明度10%くらいの オレンジのフィルターを被せて 梢との境界線の色彩を 今ゆっくりと混ぜてるみたいだ 近視はもっとずっと進むし 唄声も止んでるので デフォーカスのままでまた潜る 次の息継ぎの間までいっそ、死ね 始まり、終わり さよなら、またねを 繰り返す また、繰り返す 終わり、始まり またね、さよならを 繰り返す また、繰り返す 二度と逢えない たわいない未来に 今、生きてる
この時期になると、ブービートラップのように『戦争』に関する報道を目にする。後世に引き継ぐべき大切な話ばかりなのだけれど、タイムラインがすぐ埋まってしまうほどの大量の『歴史の教訓』の濃度は数に反比例して薄まるばかりだ。 先日、八津弘幸さんが脚本を書いたNHK特集ドラマ『アイドル』を観た。 昭和初期に実在した劇場『新宿ムーランルージュ』で熱狂的な人気を博し、カルピスなどの広告にも起用された伝説のアイドル『明日待子』さんの史実を元に書かれたドラマである。 とても上質なドラマだ
TOBLERONE 名前は変わらないけど もう会わないし 鮮やかな色彩(いろ) いつまでも回り続けてろよ あ、 通り過ぎてく つかみそこねて でも見つめていたいの ただ 恨んでいたいの TOBLERONE かたちはおんなじだけど まだ会わないし 高級(たか)そうな蜂蜜の瓶 手の中でもて遊んでろよ あ、 果てていく 乗っかられて すぐ消してほしいの また 笑っていたいの TOBLERONE 今日も買えないけど また会わないし 行ったことない国(
つくる つくる、きみ そのゆびをみつめているの びくびくとうごめくるる ゆび ゆびの、うごき そのゆびをなめたの にゅるゆるとにげていく ふぅ とける とけ しまつた またおあずけなの ぐるるるるとうめくひとのすがた ほしい ほしい ほしいです おねがいなんて きいてくれなくてもいいから ぬれる ぬれてる わたしひとりだけなの ぷぷっちゅちゅとまねする ん あ