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「坂本龍馬に憧れるな」と言われた日
2:30起きである。
今はtverでWBSの追っかけ放送を見ながら、このnoteを書いている。
動き出すにはまだ早い。
昨日は少しハイだった。
ミスチルにハマり「名もなき詩」を繰り返し聴いていた。この時期の自分は情緒不安定だ。
というのも
自分は高3の今頃に精神科を退院した。
高校卒業に必要な単位を取るための学年末試験を受けるためだ。
他の人とは別室で1人で受けました。
その時に監督官として同席した担任の教諭といくらか言葉をかわしたのを覚えている。
「これから君はどうするつもりかね?」
「予備校に行くつもりです」
「得意教科は?」
「日本史です」
「なぜ理系を選択したのかね?」
「就職に有利だからです」
「それもそうか。尊敬する人物はいるのかね?」
「坂本龍馬です。」
「辞めたまえ。殺されるには殺される理由がある。」
「それなら勝海舟か徳川慶喜ですか?」
と尋ねると
「それはこれから自分で考えたまえ。」
その頃からだろう
自分の頭で考えるということを意識し始めた。
予備校では文転し
一浪して滑り止めに受かったが、精神的に不安定なため二浪を決意。二浪目は夏にオープンキャンパスを訪れる。これがよかった。
受かったのはオープンキャンパスで訪れた大学の夜間大学。滑り止めだ。でももう迷いはなかった。
関西の夜間大学。不安と期待はあったがオープンキャンパスで自分の目で見ている大学。あそこで通学している自分をイメージできた。
自分の人生の波は大きい。
躁鬱の波だ。
その振り幅をいかに小さくするかに苦心してきた。
大学でもこの躁鬱の波に揉まれる。
とはいえ今は受験の話だ。
あれから30年が経つだろうか。
兄貴の子供が大学受験。
もしかしたら、本人より気にしているかもしれない。とはいえ、オジサンにできることなど何もない。むしろ何もしない方がいい。
しかしこれが苦しい。自分は元来、多動だ。
それ故に何もするなとなると辛い。
だから神社で祈ることくらいしかできない。
それでも50近くまで生きてきた。
今なら自分も言えるかもしれない
「坂本龍馬には憧れるな。殺されるには殺されるだけの理由がある。」
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