Xアカウントを削除しただけのこと
Twitter(現X)を始めたのは高校生の時だった。
友達の影響でなんとなく登録して始めて、最初の頃は友達とただ繋がって、他愛もないつぶやきを共有していただけだった気がする。
アカウントを何度か作り替えたりしながら、もう10年以上楽しんで使ってきたわけだけど、最近は「もう辞めようかな」と思うことが増えてきた。
いろいろ迷いながら、やっとこさアカウントを削除した。
特に誰の毒にも薬にもならないけど、アカウントを削除するまで自分なりに考えたことをここにまとめてみる。
Xアカウントを削除しただけのこと
なかなか削除できなかった理由
私が何度もXアカウントを消そうか迷いながら思いとどまってた理由はざっくり書き出すと3つになる。
フォロワーとの日常の共有ができなくなるのが寂しいから
趣味の情報を得るのに便利だったから
災害情報が早く知りたい・現地のリアルな状況が知りたいから
1.フォロワーとの日常の共有ができなくなるのが寂しいから
私は友人も少ないので、SNSとはいえ人との交流が疎遠になるのは結構寂しいことだ。
X上で相互フォローしている人は大体みんな温厚(温厚すぎて心配になるくらい)な人たちなので、見ていてほっこりするポストが多いので日常の癒しだった。
ほとんどはLINEなどで繋がっていたり連絡先を知ってるけど、ダイレクトに連絡するのは少し勇気がいると思う。
Xをやめてしまうと、日常のちょっとしたことの共有が気軽にできなくなったのでちょっとその点は寂しい。
2.趣味の情報を得るのに便利だったから
私は独身気まま(不安定)な一人暮らし女なので、ほぼほぼ趣味のために生きていると言っても良い生活を送っている。
読書、映画・ドラマ・アニメなどの鑑賞などなどの情報を得るのにXは便利だった。
例えば何かネトフリで映画見ようかなって時は『ネトフリ おすすめ 映画』って検索してみたり、ホラーが苦手だけどちょっと怖い作品が見たい気分だなって時は『怖くない ホラー映画』とか『ホラー苦手 映画 おすすめ』と検索してみたり。
いろんな口コミサイトで調べるという手もあるけど、Xのポストの方がサクッといろんな人のポストが見れるのが便利に感じていた。
3.災害情報が早く知りたい・現地人のリアルな状況が知りたいから
日本で生活していると、自然災害からは逃れられないと思う。
私のような一人暮らしの人間は、小さな地震も結構不安だ。
相談できる人もいないし、1人で判断しなければいけない。
例えば深夜に地震があった時など、Xで地名と地震を調べると比較的早く情報を得られる感じがしていた。
今年地元であった台風被害の情報も、詳細がXで画像付きで流れてくることでどこが通行止めになってるかなどもわかりやすくて助かった。
削除までする必要があった理由
削除できなかった理由をあえて書き出したけど、普段Xを見ることに特別な理由がある場合はかなり少ない。
適当な時間になんとなくスマホを起動したら、なんとなくXのアプリを開いていた。
その"なんとなく"の時間を意識すると、もっと良い時間の使い方があるんじゃないかと思った。
自分の悪い癖が直せない
これから色々理由を書き連ねるのだけど簡単に要約すると『自分で自分の悪い癖が直せないから』だ。
私は子どもの頃から唇の皮や指の皮を剥く癖があって、良い加減直したいのだけど直せない人間だ。
永遠に唇は荒れてるし、左手の人差し指と中指の皮は剥きすぎて一部カチコチになっている。
ただ楽しいことだけにXを利用すれば良いものを、特に見る必要のないものを勝手に見て勝手に傷ついたり不快になったりする。
私はそういう馬鹿げたことを自制できない残念な人間なのだ。
"なんとなく"トレンドを見て傷つく
アカウント削除するまでは毎日時間があれば利用していたXだが、先に書いた通りほとんどの場合アプリを開くことに理由はなかった。
大抵の場合はほぼ癖で見ていたような気がする。
Xのアプリを開いてタイムラインを見て、トレンドを見るというのが私の癖で、タイムラインは至って平和だったが、Xのトレンドには時々(主観としてはわりかし)傷ついてしまうワードが含まれている時があった。
トレンドに苦手なものが含まれることがわかってるなら見なきゃ良いのに、ついXを開いたら癖で流れるようにトレンドを見てしまって「あ〜、また見なくて良いもの見ちゃったな。」と自制できなかった自分が馬鹿馬鹿しくて嫌になったりして。
自分の意思でなんとかできないんだったら、もう離れるしかないなと思った。
災害情報にまでいるインプレゾンビ
地震にあったり台風が直撃した時に、SNSでリアルタイムの情報を得ることが癖になっていたのだけど、ここ数年はそうした災害情報にもインプレゾンビが湧くようになった。
地元の台風被害の詳細が知りたくて『地名 冠水』などで調べた時に、同じ内容のポストが複数表示されたりする。
便利さよりも、災害さえもインプレッション稼ぎに利用されてしまうことの不快感が大きい。
災害情報に限らずインプレゾンビたちをなんとかして欲しい気持ちだったけど、今のところあんまり期待できそうにないし、適応できない私の方がやめた方が良いと次第に思うようになった。
アカウント削除してから気づいたこと
私って孤独だったんだな
Xのアカウントを削除して一番最初に感じたのは「私って孤独な人間だったんだ。」ということだ。
Xを開けばタイムラインなりトレンドなりで新しいポストが流れている。
あまり自覚してなかったけど、ポストを見ることによって一人の生活の孤独が少し薄れていたように思う。
なのでXのアカウントを消して、ほんのり孤独を自覚した。
孤独を思い知るのって結構しんどいので、あまり人と交流がない人はSNSは無理にやめないほうが精神衛生的には良いような気もする。
自分の幸せとはあまり関係がない
20代の頃などは、SNSで情報を得ることや、自分の日常で関わることのない人と交流できること、ワンチャンビジネスチャンスが掴めるかもしれないことなどに魅力を感じていた。
Xは一つの娯楽としては楽しかったことも多いけど、最近は疲れてしまうことが増えていた。
今現在32歳になって、これまで10年以上(Twitterの頃から)Xを続けていながら、正直そこまでメリットを自分の人生に活かせていないことを踏まえると、このまま続けてもあまり良いことは起こらないかなと思う。
時代についていけないのは残念だけど、自分にはあまり向いていないんだろう。
最近精神的に参ってることもあって、『自分の幸せってなんだろう・・・・』と考えることが多くあり、そういう時に思いつくのは、家族や友人などの親しい人との時間・読書など趣味の時間くらいだった。
正直SNSをやってるかどうかなんて関係ないところに自分の幸せはある。
自分ってその程度で幸せになれるんだから手軽で良い。
関係ないならもっと幸せなことに時間を使ったほうが良いよなと思う。
SNSを色々退会してみて思うこと
私はこれまでに、instagram・Facebook・Pinterestもアカウント削除している。
今現在動かしているのはLINEとnoteくらいだ。
X以外のアカウントはほとんど閲覧用に使用していたので、削除してもさほど生活に影響はなかった。
Xは友達と相互だったり昔から仲良い人がいたりして、ちょっと孤独が強くなったけど、そのうち慣れるだろう。
自分にとってSNSはあくまで娯楽の一つで、さほど生活の中で重要な要素ではなかったのだと思う。
結局のところ、私自身が幼稚なのだ。
どんなにマイナスな面があったとしても、合理的にプラス面を生かして活用すればいろんなチャンスを掴めるのがSNSだ。
対応しきれなかった私個人には、X含め退会したSNSは向いていなかったのだと思う。
Xをやめて今は正直寂しい時間が多いけど、それなりに自分の好きなことに時間を使っている。
早く慣れて、今の生活も良い感じって言えるようになりたいな。