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1.子供達のこと、そして自分の子供時代と比較分析してみたいと思う

初っ端から話がちょっと逸れます(笑)ごめんなさ~い!!

冒頭のphotoを見つけた時、国語の教科書にあった『アレクサンダとぜんまいねずみ』を想い出しました!!

(いや、フレデリックだろっ!?という突っ込みはごもっともですが一旦却下します笑)

私の人生で3本の指に入るくらい大好きなレオ・レオニ
国語の宿題で本読みがあると、子供そっちのけで私の方が率先して本読みをしたことを憶えています(ノ≧ڡ≦)☆
長女か次男の時にはスイミーになっちゃってたかなぁ~

そしてもうひとつ!!

先日マガジンとして初投稿してから、皆様から沢山の『スキ♥』を頂きました。
本当に嬉しいです‼️

読んで下さった方!
また『スキ♥』を下さった方々!!

本当にほんとうにありがとうございますm(*_ _)m

これから書いていく大きな自信と励みになりました!!今後とも末永くご愛読頂ければと思いますm(*_ _)m

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さて、本題に入りましょう(笑)
3人の子供達の大まかな紹介をしたいと思います。

長男・23歳・A型

長女・20歳・B型

次男・17歳・B型

この3人がマガジンの主人公達です。

血液型は日本人しか気にしない(日本人だけが気にする?!)ようですが、一応参考までに。

また個人的に星座についての考察もつけたいのですが、そこまで突っ込むと話がまた逸れていってしまうので、それはおいおい個別に話しを進めながら追記しようと思います。

長男と次男は不登校、長女はそこまでいきませんがプチ登校拒否あり。

また次男は発達障害グレーゾーンです。WISC-ⅲ検査を長男と次男が受けましたが長男は該当せず発達障害なし。次男は2度検査を実施。

1度目はADHDの診断を受けたものの知能は正常との結果。2度目で障がい者手帳が交付される/されないところのぎりぎり基準に満たないグレーゾーン判断でした。

しかも後ほど詳しく書きますが、どうも自閉症スペクトラムも当てはまる可能性があるようです。

現在WISC-Ⅳが主な検査になってるんですね。WISC-ⅲは2010年にⅣに改定されてからはあまり使われなくなったようですが。

ということで

『豆腐メンタル&不登校&発達障害』

をそれぞれ併せ持つある意味最強な個性派揃いの面々、それがわが子達です(笑)

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ここで私について自己紹介も含め、自分が子供の頃はどうだったかを振り返ってみようと思います。

私はアラフィフ・バリバリ昭和世代で『学校は行くもの』という概念が当たり前の世代です。

弟が2人いる3人兄弟の長子に産まれました。昔は『一姫二太郎』という言葉もあったからか、両親は勿論可愛がってくれたと感謝していますし有難く思っています。

ただ、やはり『長子・長女』という立場も影響してることは否めず、親の期待があったり頼りにされたことは言うまでもありません。

思い出すに、幼稚園はバスで通園だったので何も考えず来たバスに乗って登園してました。特に行きたくないとか嫌だという感情も無かったかと。

朝テレビでやってた『ポンキッキ』(懐かし~!!)が丁度終わってからの時間というのも良かったのかも知れません。バスには仲の良い友達も一緒だったし、幼稚園で喧嘩したり嫌なことがあった記憶も無いので、きっと楽しい幼稚園生活を送っていたんだろうな~と自分では感じています。

逆に就学前の大事な時期をこの幼稚園で過ごせたことは、今の私にとっても重要なファクターだと思っています。自分についての考察はまた別の機会に別マガジンを設けてお話したいと思いますが、確実に自分の礎になっている時間だったのは間違いありません。

小学校は最初、バス通学でした。市内でも有数のマンモス校で、児童生徒数は1000人を有に超えていたでしょう。私達の年代は第二次ベビーブーム真っ只中ですから、一クラスの人数も今とは桁違いの40人越え(約40人×8クラス×6学年=約1900人以上!?)

教室は勿論、体育館やプールも文字通りギュウギュウ詰めでした(笑)

入学したての頃の事をたまに思い出すのですが、校内は人!人!ひと!!独りだった記憶なんてありません。

休み時間の廊下・グラウンド・体育館はいつも溢れんばかりの人が居る光景が当たり前で、朝会や集会はそれはそれは凄まじかったです!!

第二次ベビーブームで高度経済成長期・・・学校の教育も今のような子供主体ではなく、学校・先生が主体の場所でした。(今も決して完全に子供主体とは言い切れないですが・・・)

『何も考えず、ただ学校に行っていた』

それが1,2年生の頃の私です。

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3年生になる頃、学校再編の時期だったのでしょう。市内でも学校分離・新設が進められるようになり、私の住んでいた地域はその新設の小学校へ移ることになりました。

バス通学から歩き通学へ。

通学班で20分も掛からない程度の距離にあって、比較的学校に近い方です。いけないことだけど忘れ物を取りに戻ろうと思えば途中から戻れる(笑)し、帰宅後また学校に遊びにも行きました。

新しくて近い。

最初は学校に行くのが楽しかったはず。
…でも途中から少しづつ暗雲が立ち込めてきます。

4年生から5年生の頃には私も

『学校に行きたくない』

という漠然としたイヤイヤ感情が芽生え始めました。。。
俗に言う『第二次反抗期』突入開始時期です(笑)

振り返ると、

①苦手科目の算数がどんどん解らなくなってきた

②クラス替えをして友達関係に変化が出てきた

③学校に行くのがめんどくさい(忘れ物とかするし~先生に怒られるし~)

と言う理由があったように思います( ̄▽ ̄;)

算数は丁度難しくなってくる学年です。また人間関係もこの年齢からちょっとずつ関わり方が違ってきます。
クラスにはからかう男子は絶対居たし、女の子の中にもやっぱり性格の合わない子も居ました。

またこの頃の私はよく忘れ物をしたり宿題もしなかったり、目立って悪いことをする子ではなかったけどよく先生に叱られるようになりました。
そういうのが重なると学校自体がつまらなくて面倒だと思ってもおかしくはないと思いますがどうでしょうか?

そしてこの頃、私の中にもうひとつの感情が湧きました。

『どうして学校に行かなきゃいけないんだろう???』

私はこの質問を確か親にしてみた記憶があります。

母親だったかなぁ?
それとも父親?

どっちに聞いたかは覚えてませんが、いともあっさりとこう言われました。

学校に行くのはお前の仕事だから

それが責任で義務だと言われたと思います。両親が仕事をするように、私や弟達も学校や幼稚園に行くのは当たり前だと。

当時の私は多分、それで納得したのでしょう。いや、納得せざるを得なかった。

親に言われたという事実。親もやってる仕事と同じだということ。それが当たり前だということ。

有無を言わさず、当たり前という言葉でねじ伏せられたことで、私は『ふ~ん、そうなんだ~』と能天気に納得したはずです。

だってその後、一切そんな事を考えることはしなかったから。

考えるのを止めたんですね。

確かにちょっと不満はあったはずでした。その後もあいも変わらず学校に行きたくなくなる時はあったし、仮病は使わなかったけど具合が悪くなって休むこともよくあったし。

でも、口に出してまで『なんで学校に行かなきゃいけないんだろう』とか『行きたくない』とは言いませんでした。

言っても無駄だった。

どうせ何を言っても「行け!」と言われるんなら言わないほうがマシだと思った。

だからいつしか、ソレを考えることは止めました。

機械的に、ただ流れに沿って行くだけ…
みんなが行ってるから私も行かなくちゃいけない…

。。。そんな事が高校生まで、いやもしかしたらその後もずっと続いているのかも。。。

『〇〇に行くのが当たり間』という呪縛から逃れられないまま、今現在に至るまで続いていたのかも知れません。

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私がこの結論に至った理由のひとつに、長男の不登校問題がありました。

彼が問題を起こし始めて、自分はじゃあどうだったんだろうと考えたんです。

長男と初めてと言っていい真っ向勝負の話し合いをした時、彼の口から出た言葉がとても新鮮でした。(言葉についてはまた後ほど書きます)

彼は当時の私よりも数段、学校と云うものについて考えてました。実際教室で授業を受けながら、ずっと自分自身に問いかけていた。

そしてその結果としての答えが『行かない』でした。

自分でもびっくりでしたが、その話を聞いてて私はちょっと感動しちゃったんですよ!


親としてダメだと思われる方もいらっしゃるでしょう。
『そこ、感動するとこじゃないでしょ!!』ってお叱りを受けそうですね。

でも私は率直に、親としてというより一人の人間として、というか私も同じ子供として?『こいつ、すげー!』と思ってしまった( ºωº ;)

私のように思考停止したり諦めたりせず、ちゃんと彼なりに考えたんです。

そしてその結果が『行かない』のなら。。。

じゃあ、それでもいいんじゃないか?("とりあえず"は)

そりゃあ、すぐ『じゃあもう学校に行かなくてもいいよ』とは言いませんでしたよ。

でも、長男の言い分は一旦共感して受け入れました。全面的に賛成とまではいかないけど、その考えを肯定して受け止めたつもりです。

自分が親に問いかけた時のように、『それが当たり前だから』とは言えませんでした。
『本当に当たり前なのか?』という疑問を持ってしまったのもあります。

だから私はそこから、長男と一緒に併走して考えることにしました。

。。。長男と私の長い長~い戦いの幕開けです。。。

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ここからが本格的に足を踏み入れていくことになるのですが、今日はひとまずここまで!

今回もお読みいただき、ありがとうございます。また次回もお楽しみに(*˙︶˙*)ノ゙

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