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映画の感想「花束みたいな恋をした」
2025/1/11(土)
映画「花束みたいな恋をした」が昨日テレビで初放送された。私は有料の動画配信サブスクに登録していない。録画して、今日初めて観た。
カットされたシーンが多いようなので、全て観たとは言えないが思ったことを記しておく。
公開当時は話題になり、ツイッターによく感想が流れてきた。それを読んだ私は、サブカル好きな大学生が雰囲気のある言葉を使って喋る俗に言う「エモい」恋愛映画で、そういう「エモくてセンスがある」コンテンツが純粋に好きな若い人が観る映画だと思っていた。
実際にそういう話し方でたくさんのモノローグが流れるし、お手軽に「エモい」を表現できるフィルムカメラ、古いけどおしゃれな賃貸の部屋などがでてくる。小説や漫画、舞台に映画にゲームなどカルチャーを楽しんで生活する様子からは、暮らしを楽しむ余裕とセンスが感じられる。
しかし、これは純粋に「エモい」が好きな若者たちだけに向けた映画ではなかった。かつてそういう若者だった人たちにこそ、理解することができる映画だと思った。
絹と麦が自己紹介をするときに好きな言葉しとて「替え玉無料」と「バールのようなもの」を上げるシーンがある。
これを、2人の波長が合っているテンポのよいハイセンスな会話だと感じる人と、これぞ自分にはセンスがあると思っているサブカル大学生だと感じる人がいるだろう。
私は後者だったが、もし自分が麦だったらと考えた。絹に「好きな言葉は『替え玉無料』です」と言われてすぐに「好きな言葉は『バールのようなもの』です」と返す事が出来たら、「このスピードでこの返しが出来た私、センスある〜!」と自画自賛するだろう。逆に絹だったら「同じ文化に生きる人だ!こんな人今まで他にいなかった!」と麦との出会いに舞い上がるだろう。
そういう細かい会話や、ふたりの考えや悩みに、「若いね〜」と褒め言葉ではない「若さ」を感じ、そのあとに、でも自分もそうだったという記憶がやってくるのだ。
きっとこの映画は観る年齢によって感想が変わる。もう若者としての感想を持つことはできない。
ツイッターでこの映画の感想を書いていたのは大人達だなと思った。なんであんなに感想が流れてきていたのかが分かった。この映画について自分の考えを言いたくなってしまう。だいたいのことを経験してきた解っている大人として、映画について語りたくなるのだ。
きっといつか、それさえも若いと感じるときがくるのだろう。
映画の中で、主人公ふたりはずっと若いわけではなかった。少しずつ、普通の大人へと変わろうとしていた。
大人になる前の時間を一緒に過ごしたふたり。その日記を覗き見るような映画だった。