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ことばは櫂、本は帆
生きるとは、いろんなことを自分の中で定義し直していくことの連続である。
たとえば「幸せ」について、私はよく考える。幼い頃であればきっと、「不幸な要素がない」状態のことをそう呼んでいただろう。しかし年齢を重ねれば重ねるほど、必ずしもそうではないことに気づいていく。
”不幸”を経たあとの「幸せ」がどれだけ至福であるか、私たちは身を持って知っている。だから今、「幸せ」について定義するのであれば、私は「夜明けがいつもそばにある」状態のことであると言いたい。
いつもそんなことばかり考えては、iPhoneのメモに書き殴り、ただひとりきりで育てていく日々を送っていた。
そんな私の対話相手となったのは、思いがけず一冊の本であった。キム・ソヨン著『詩人キム・ソヨン 一文字の辞典』である。
2022年の日本翻訳大賞を受賞した作品で、韓国の詩人であるキム・ソヨン氏が、ハングル一文字を彼女自身の言葉で捉え直すというエッセイ集だ。
はじめてこの本を読んだとき、私がずっと出会いたかったものにようやく出会えたような気がした。以来、何度も読み返しては、そこに並ぶ文字列を、慈しむように、大切に、眺めている。
繊細に紡がれる言葉の中に、時折混ざる皮肉やユーモアも最高だ。生きている場所は違えど、国境や言語を越えて深く通じ合えるものがある。そう思うと、うれしくて強い気持ちになれるのだ。
心に響いた言葉は数えきれないほどあるが、ここでは「詩」という言葉の定義について語られている箇所を一部抜粋して紹介したい。
この本そのものが詩集のようでもあるから、『一文字の辞典』とは一体何なのかを提示している一節にも感じられる。
「시【si】詩…
一 すでに美しいものは、もはや「美」になりえないのであって、「美」になりえぬものを、かならずや「美」ならしめること。」
読んだとき、胸がいっぱいになり、思わず泣いていた。私がこれまでたくさんの本を読んだり、言葉に触れてきた理由がすべてここにあるような気がした。
悲しいことに、この世界は美しいものだけではできていない。心が壊れてしまうほどの理不尽な苦しみや、はらわたが煮えくりかえるような終わりの見えない怒り。その渦中にいるとき、この苦しみは自分にとって一体なんの意味があるのかを考える。
そんなとき、私たちには「詩」や「言葉」が必要になるのではないかと思う。
言葉は私にとって、現実から逃れるためのものではなかった。自分自身や、苦しみそのものを見つめ直す手助けになるものであって、誰かが書いたたった一行の文章をきっかけに、動けなくなった心や身体が前に進んでいくことだってある。
他者の言葉で紡がれる「苦しみ」や「怒り」を、美しい、と思う。
その感情が丁寧に言葉に起こされるほど、その人がどうしようもなく”生きている”ことを感じられるからだ。それを介して、私は決してひとりではないのだと思える。
そういう言葉は、人にしか紡げない。ロボットは美しい文章を書けるかもしれないが、言葉によって美しくなりうる不完全さや、陰りまでを書くことはできないのだ。
以前、翻訳を監修された姜信子さんがとあるラジオ番組で、翻訳作業時の様子を振り返ってお話されているのを聴いた。この本は姜さんを含む、8人のメンバーで翻訳を行ったそうだ。
キム・ソヨン氏の言葉を日本語に訳していく中で、それぞれが自分の人生を振り返り、それぞれの一文字を考えた。その過程で思わず、皆で涙を流す場面もあったという。言葉というものが、どれだけ人の人生と密接に結びついているかを痛感した。
読みながら私も、一緒になって「自分ならば、この一文字をなんと定義するだろうか」ということを考えていた。きっとこの本を読んだ、ほとんどの人がそうなのではないかと思う。
その中で、たとえば日常生活においても、与えられた言葉や情報をそのまま享受しているだけだなんて、もったいない、という気持ちが湧いてきた。
私は、私の言葉で話がしたい。そもそも「生きる」ことそのものが、新たに出会うものやそこで生まれた感情に、自分だけの言葉で名前をつけていく作業の繰り返しなのではないか。
そうやって手にした世界の中で、誰かと対話を重ねていきたい。そう思うようになった。
すてきな本を読むと、世界の見え方が変わる。自分がこれからどう生きていくべきなのか、ちょっとだけわかるようになる。『一文字の辞典』は、まさにそんな一冊だった。
私はこれからもたくさんの本を読むし、そこで受け取ったものを大事に育てていこう。
私にとっての「책【chaek】本」とは、「人生の櫂であり、帆である」と、今は答える。