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生と死

自分の気持ちの整理のために、このテーマでブログを書こうと思います。

SNSではなくnoteで書くのは、SNSは半分オフィシャルな感じで使っているから、あまりネガティブな事を書きたくはないのと、ブログは読みたい人しか読まないだろうし、読みたい人だけ読んでくれたらいいかなと思うからです。

noteは、元々、自分の考え、感じた事を書いたり、自分の心や頭を整理するのに使おうと思って開設したので、更新は超ゆっくり目。実は途中まで書いて仕上げていない記事も沢山あるんだけど。

でも、それよりも、自分の中で今一番整理したいのが、「生と死」なので、しっかりと自分の辛さをここに掃き出し、自分の思う事、感じている事を、書きながら整理していきたいと思います。

書きながら整理する、という目的なので、途中おかしな文になる事もあるかもしれませんし、まとまりのない文章を書くかもしれませんが、温かく見守っていて下さると幸いです。


去年今年と、親しい人を何人も亡くし、沢山泣きましたが、なんと8月は、親しい人の死を二回も経験しました。こんなに短期間で二回も親しい人の死を経験したのは初めてだし、しかも二人とも若くて。

訃報を聞いた時はもちろん悲しかったし、号泣したけど、今は、辛いとか悲しいとかいうより、なんだか自分の気持ちの整理がつかない状態で過ごしています。

海や山や川に行ったり、夫と飲んでいたり、レッスン(仕事)をしている時は元気なのですが、それ以外はぼーーーーーっとしてしまいます。嘆き悲しむ訳ではなく、ただぼーーーーーっとしてしまう。

ご飯も食べれてるし寝れてるから、元気なんだけどね。

お陰で、スケジュールミスするわ、家事が進まないわで、散々。これじゃいつも私の事応援してくれていた故人に申し訳ないわ💦という事で、そろそろ自分の気持ちにちゃんと向き合って整理しようと思いました。


1人は、友人です。まだ41歳。交通事故で、あっけなく死んでしまいました。

もう1人は、夫の叔母です。夫の叔母と言っても、私もかなり仲良くさせて頂いていました。


友人は、ヘラヘラ笑いながらも心の中に沢山の苦しみを抱え、それをお酒で誤魔化しているような人でした。そういう事、本人が言わなくても、周りは分かる。

そして、「俺、早死にすると思う。」と言っていました。私は、「そんな事言っちゃダメだよ。」って本人に言ってたけど。現実になっちゃった。

本当に早く死んでしまうなんて、本当にバカ。なんでこんな死に方しちゃったの。もう、そういう気持ちでいっぱいです。

事故なので、自殺ではありません。ですが、彼と一番仲良かった人は、「アイツは自分でそういう死に方を選んだんだね」「死に急いだんだね」と言っていました。

でも、こんなに若く、そしてこんな死に方、選んで欲しくなかった。

自分の用事がありお通夜も葬式も行けなかったんだけど(後日お花を供えに行きました)、もしかして、行かなかったから余計に心の整理がつかないのかもしれません。


叔母は、長い事闘病していました。

だから、今は苦しみから解放されたと思っています。

だけど、すっかり小さくなってしまった叔母の亡骸を見て、もしも違う治療方法を選んでいたら、もっと長く生きれた可能性はないか?と、思わずにはいられませんでした。

そして、コロナで自由に愛する家族と会う事すらままならない入院生活、寂しかっただろうなぁ、それでも、夫とまた元気に暮らしたい、息子、娘、孫とまた元気に会いたい、その一心で頑張ったんだろうなぁと思うと、切なくなります。

でも、病気って本当に運の様なものだし、どこでどんな治療を受けるかというのも、彼女の選択だった訳だし、違う治療方法を選んでいたらもっと長く生きれたんじゃないかと残された者は思ってしまうけれど、実際はもっと早く亡くなっていたのかもしれないし、こればかりは誰にも分かりません。

残された者は、ただその死を受け入れるしかないと思っています。

受け入れるしかないと分かっていても、あの笑顔がもう見れないのか…と思うと、寂しいです。


人の命って本当に分かんないよね。

明日突然倒れて死ぬかもしれないし、交通事故で死ぬかもしれないし、災害で死ぬかもしれない。

病気になって、頑張って治療して病気に打ち勝つかもしれないし、治療の甲斐なく死んでいくかもしれない。或いは、治療のせいで死んでしまうかもしれない。

妊娠、出産、元気な子どもが生まれた!という幸せなハズの出来事だって、順調だったはずの妊娠やお産でも、何の病気もしていなかったお母さんが死んでしまうなんて事もある。

本当に、人の命って、分かんない。


今話題のコロナやワクチンだって、コロナで死ぬかもしれないしワクチンで死ぬかもしれない。その可能性は、誰しもが持っています。(ちなみに、厚生労働省の発表によると、ワクチン接種後に死亡したケースは7月30日までに919件あるそうです。実際はもっとある…なんて説もあります。)

ワクチンを打つ人は、コロナで死にたくないから、重篤化したくないから、或いは、一刻も早い収束を願って接種をすると思います。そんな想いで打っても、死んでしまうかもしれないのです。

だからといってワクチンを打つなと人に言うつもりはありません。コロナの例が分かりやすいかなと思ってコロナを例に出しただけです。

コロナに限らず、私達は、薬を飲む時、飲まない時、ワクチンを打つ時、打たないと決める時、病気になって治療方法を決める時、或いは治療しないと決める時、命の選択を「自分で」しているのだなと思います。

自分にとって最善だと思った方法をとっても、自分が正しいと思った方法をとっても、自分の思い通りの結果を産まない事もありますが、それも、自分の選択の結果でもあります。

その時には、明らかな医療ミスでもない限りは、誰も責められません。医者のせいでもないし、本人のせいでもありません。

だから、「自分で」決めるという意識をしっかり持つ事が大切だと、私は思います。自分で調べ、考え、自分で決める。そうやって自分で決めた事なら、うまくいかなくても、そう後悔はしないのではないかと思います。


こういう考えは、以前から持っていたんだけど、今年の祖父の死で、更に強くなりました。

今年亡くなった祖父は、具合が悪くなってからすぐに病院に行っていたら助かったかもしれないのに、病院に行かず、発見されるまで一人で苦しみ、そして亡くなりました。(その事は https://note.com/mirika_misha/n/nd83cf25c43db に綴ってあります) 

病院に行ってくれていたら生きれたかもしれないのに…という気持ちもなくはないけれど、これが祖父の選択だったと思うし、そんな選択を出来た祖父は本当に強く優しい人だと思う。

そして、この祖父の選択を目の当たりにし、「自分で決める」という意識が、もっと強くなりました。


もちろん、治療や予防等については自分で選択出来るけれど、自分では抗えないものもあります。交通事故や災害等で命を落とす可能性もありますし、さっきまで元気だった人が突然倒れて帰らぬ人に…昨日まで元気だった人が寝たらそのまま意識を戻さず…なんて事もあります。こればかりはもう運としか言いようがありません。


人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。早いか遅いか、ただそれだけ。

私は、明日死んでも後悔しない様に、毎日生きよう。

毎日、生き生きと。命ある事に感謝して。

そして、ちゃんと自分で考えて、自分で決めよう。生死に関わる事に限らず。


やっぱりまとまりない💦書きながら思った事をそのまま綴ったので、まとまりなくてすみません。

私にとって、「書く」という事は、自分と向き合ったり、自分の気持ちを整理したりする上で、一番有効な行為。誰かに話すよりも、書く方が、私には合っています。

書いてちょっと整理できた気がする^^ 

トップの写真は、叔母の葬儀の後に見た虹です。写真ちょっと分かりにくいかもしれませんが、ダブルレインボーでした。

満面の笑顔が素敵な叔母。虹の橋を渡って行ったのかもね🌈








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