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私の名前は

私には今、周りに私のことを名前で呼ぶ人がいない。

友人は大体名字から取ったあだ名か、名字をそのまま呼ぶかだ。仕事中は普通に名字+さん付け。家族も私のことをあだ名で呼ぶので、ストレートに私の名前を呼ぶ人がいない。
そして、インターネット上では「みり」と名乗っている。至る所でこの名前を使っている為、「みりさん」と呼ばれることにもすっかり慣れてしまった。

周りが自分のことをなんと呼ぼうが構わないのだが、そのせいか、私は今奇妙な感覚に苛まれている。これをどうにか解決したい。
これを考える時に、私は以前書いた記事の内容と地続き的な問題ではないかと考えてみた。

その記事は下のリンクから飛べますので是非。

私は上の記事で日常生活の中で「演じること」について考えたのだが、演じることとは意識をすることだと自分なりに結論付けている。
では、その私の中の意識が変わる瞬間とはなんなのだろう。私は、そのトリガーとなるのは「名前」「呼び名」なのかもしれないと思った。

私は普段、バイト先の先輩や仲間に名字に因んだあだ名で呼ばれている。ダウンタウンの松本人志さんが松ちゃんと呼ばれているようなものだ。だが、仕事中はそういう訳にはいかないので名字にさん付けで呼ばれている。

この「あだ名で呼ばれる私」と「名字で呼ばれる私」は違うキャラクターだと思っている。
言葉遣いだけではない。声のトーン、喋る速度、表情、身振りなどに加え、感情の起伏の幅も多分違う。

例えば、仕事中の私が出している声は普段の声よりも高く明るく、喋る速度はゆっくりだ。友人と話している時にその声を普段の生活中に出せと言われたら、意識しないと中々難しい。仕事中、バックヤードで同僚にあだ名で話しかけられたとする。そうすると出てくる声のトーンや口調は「対友人」のものになる。

感情の起伏については言葉にするのが難しいが、友人相手には許せることが家族相手には許せないという経験は色んな人があると思うが、その感じと近い。恐らく。
外行きの自分になるにつれて、感情の制御がしやすくなる。「表面では取り繕っているけど内心では」というよりも、本当に感情の起伏が小さい時が多いと思う。

多重人格とは違うのだが、私の中に私が何人もいる感覚だ。そのそれぞれの私には名前が付いている、一つのキャラクターのようなもの。しかし、その名前は自分で命名するものではなく他人からの呼び名で決まり、私は相手から呼ばれる名前を受けて、その時と場合によってカスタマイズして「その場において最善の私」を演出する、といったような感じだろうか。

ここら辺は平野啓一郎さんの「分人主義」という考え方に近いのではないかなと勝手に思っている。

ここまできてようやく本題に入れる。
私のことを現在名前で呼ぶ人が周りにいないこと、それによって起きた奇妙な出来事のことについて。

古臭い考えかもしれないが、私にとって名前とは、生まれて一番初めにもらう自分を証明する形のあるものだと思っている。昔の話で、妖や人でないものに名前を教えてはいけないとあるように。
そして人口が多い名字を持つ人はその限りではないと思うが、自分のことを名前で呼ぶ相手とは、結構親密度が高い相手が多いと思う。

私にとって名前とは核のようなものなのかもしれない。色々な呼び名で呼ばれる私が相手や場に対して最善になるように調理されたものだとしたら、名前そのままというのは素材そのままみたいなものだ。
先程自分の中に色々な私がいると言ったが、それは完全に独立した人格ではなく、元の素材となる私の要素は共通してある。

最近、初対面の相手に名前で呼ばれる機会があった。さん付けとかではなく、呼び捨てで。その相手に悪意はなく、ただ私と仲良くなりたいという思いの現れでそうしてくれたので私も悪い気はしていなかった。
だが、初対面の相手なのでこちらは失礼のないように接しなければならない。すると、「呼ばれるのは名前なのに、こちらが出さなければいけない私は外行きモードの私」というバグのような、ちぐはぐな状況が起きた。
コミュニケーション自体に問題があった訳では無いのだが、自分の存在がふわふわ浮いているような奇妙な感覚だった。中身と外見が合っていないような。
更に久々に名前を呼ばれたからか、自分の名前なのに自分のものではないような、名前だけが宙ぶらりんになって実体が伴っていないような感覚に陥った。

私のことを表す呼び名はたくさんあってそのどれもが正確に私のことを示しているが、「私の名前ってなんだっけ」と自分の土台を見失ったような状態になってしまったのだ。
『千と千尋の神隠し』で「自分の名前を忘れたら元の世界に戻れない」というのは、こういうことなのかな、と少し思いながら。

考え過ぎだろうか。考え過ぎだと思う。
とりあえず言葉にして取り繕ってみたものの、矛盾点はボロボロ出てくると思う。理論にしたいわけではなくて、自分が納得するためにこれを書いただけなのでまぁいいか。
そして、もし似たような感覚を持っている方、こういう考えがある、という方がいらっしゃったら教えてください。

読んでいただきありがとうございました。

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