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眼鏡が似合う自分になる。

「美玲さんって、何を掛けても似合いますよね~」。

眼鏡ライターという職業柄、展示会など人前で試着をする機会が多くあります。年に数百本は掛けているかも? 取材のための試着なので、それはもういろいろな色や形を試すのだけど、たしかに個性的なデザインでも不思議と馴染んでしまうことが少なくありません。

そんなとき、冒頭のように言われると「もう30年以上眼鏡を掛けているから、顔が眼鏡に寄ってきたんです」なんて冗談半分に言うのですが、じつは半分は事実で。私は髪も服もメイクも、つねに眼鏡を掛けていることを前提に"眼鏡に寄せて"考えています。

眼鏡を受け入れる‟余白”をつくる

たとえば、掛けたい眼鏡があれば美容院ではそれに合わせて前髪を切ってもらう。眼鏡に合わせて服を買うことも多いし、そうでなくても服を試着するときは必ず何かしら眼鏡を掛けているわけで、自然と眼鏡ありきのバランスを確認しているのでしょう。

そう、顔が眼鏡に寄ってきたのは多分そのためで。眼鏡を掛けることを前提にスタイリングしているから、眼鏡を外すとその分“余白”ができる。眼鏡用の舞台を用意している状態だから、手持ちのものでなくても比較的いろいろな眼鏡が馴染むのだと思います。

一方で、普段眼鏡を掛けていないのであれば、眼鏡が無い状態でバランスを取りますよね。そこに新しいパーツとして眼鏡が加わってくるわけですから、違和感が生じるのは当然のこと。それは決して「眼鏡が似合わない」わけではないのです。

眼鏡が顔に馴染むとは

たとえばコスメ売り場のBAさんにメイクをしてもらうとトゥーマッチに感じることもあったのだけど、それはきっと“眼鏡無しの状態で完成された顔”を作ってもらっていたから。「普段のメイクと違う」ことに加え、完成された顔にさらに眼鏡を加えてしまえば、どうしても取ってつけた感じになってしまうわけで(これは眼鏡のことをきちんと相談しない私が悪い)。

やっぱり顔の中心に来るものだから、眼鏡の存在を無視して考えることはできません。でも、意識するだけでも変わるはず。眼鏡を掛け続けているとその人に眼鏡が馴染んでいくように感じられるのは、自分も周囲も“見慣れてくる”ことに加え、自然と“眼鏡ありきでのバランスを取るようになる”ことも理由のひとつなのだと思います。

なにしろもう長年眼鏡を掛け続けているので、私にとって眼鏡はもう顔のパーツのひとつ。眼鏡の存在を意識しなくとも、自然とバランスを取るようになっていたのでしょう。

だから私は裸眼の顔だと、どこか物足りない。面長な分、頬の余白が気になってしまう。けれど眼鏡を馴染ませるには、“眼鏡無しだと物足りない”ぐらいの状態のほうがちょうどいいのです。すっぴんに黒縁眼鏡+赤リップで何だか余裕のあるお洒落感が出せるのは、そういうことなんじゃないかしら。

掛けたい眼鏡があるなら、自分から寄せてみる

「眼鏡のための余白を作る」。自分にとって当たり前のことになってしまっていたため、この件をきちんと言語化できていなかったことに気がつきました。とくに私はバランスを取るのが苦手だから、今のところこういう結論に至ったのだと思います。

というわけで、眼鏡が似合わないと感じている方は、現在のメイクやスタイリングに眼鏡を加える余白を作ることを意識してみてはいかがでしょうか。今のバランスに似合う眼鏡を探すのもひとつですが、掛けたい眼鏡に自分を寄せてみるのも楽しいものですよ。

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ちなみに、ときどき、メイクもばっちり&アクセサリーもたくさんつけて、一見余白がなさそうに見えるのに眼鏡をお洒落に掛けている人もいるけれど。その場合は、盛り方のバランスが取れているってことなのかな。とってもお洒落で憧れます。これについての考察は、また追って・・・。

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