かなえたい夢
かなえたい夢を考える上で
「どんな夢が叶ったか」を思いめぐらしてみました。
正直、パッと思い浮かぶものがありません。
高校3年時、とあるアイドルに
ファンレターを送った際
思いをつづった最後に
「ラジオパーソナリティになりたいと思っています」
と書きました。
数週間後、ご本人から
「パーソナリティーになった時は
私をゲストに呼んでください!」
という返信が届きました。
今、BAYFM「9の音粋」(月曜日)
「シン・ラジオ」(木曜日)
オーディオブック「三人寄れば無駄な知恵2」にて
喋っています。
「ラジオで喋る」という願望は叶っていますが
まだこの方をお招きできていません。
各番組、それぞれのコンセプトがあり
3番組とも自分の冠番組ではないため
ゲストにお招きするのは簡単ではありません。
返事をくれたこの方は
今、女優として活動しています。
おそらく私の手紙はもう手元にないでしょう。
私もまた、ファンレターの返事は
実家のどこを探しても出てきません。
それでもいつかお招きできたら……
それが今の夢、夢というか
「できたらいいな」と思うこと。
「夢はなんですか?」と聞かれると
いつも身構えてしまいます。
「社会的に意義のあること」を
言わなければいけないのでは、
「今よりも存在感のある何者かになる」と
宣言しなければいけないんじゃないか、と。
それらがまったくないわけではないのですが
すっと口に出すことはできない。
これまで生きてきた中で
「すべてのことに”時”がある」
と思うことがたくさんありました。
人それぞれに「叶う時」「叶わない時」がある。
どうにも自分がコントロールできるものではない
「めぐりあわせ」「タイミング」というものがある。
「風が吹く」という言葉があるように
自分に風が吹かず、誰かに風が吹いて結果が出ない。
同じことをしているのに、こちらは結果が伴わない。
満ち足りた状態で臨んだのに叶わない
ということがある。
それは自分の”時”ではなかった
ということなのだけど
積み上げてきた時間や労力を考えると、
そんな簡単に受け入れられない。
自分のせいにしてしまい、しょい込んでしまう。
また、その逆もしかり。
「足りない」と思っていた時に「叶う」こともある。
「夢は願い続ければ必ず叶う」というのは
叶えられる”時”があるという点においてはその通り。
ただ、自分が思い描いた計画通りで叶うのか、
まったく思い描いた通りの結末を迎えるかはわからない。
「夢」を具体的に、厳密に描き過ぎてしまうと
自分に風が吹いた”時”を実感せず
いつまでも、何が起きても満たされなくなってしまう。
そういう意味で、
夢は雑であればあるほど叶うのではないか。
そして、雑であればあるほど
「夢に苦しめられること」はないと思うのです。
12歳の時に出会い、夢中になったバンド
DREAMS COME TRUE。
42歳の時、
「ドリカムディスコ2022 -Road to DWL2023-」の
構成を担当し、中村正人さんと
全国6都市をまわりました。
これは「夢が叶った」のではありません。
「夢にも思わなかったこと」と向き合ったのです。
中村さんが密かに「9の音粋」を聴いていたこと、
自分のバカバカしいSNSの投稿にツッコミを入れ
「リスナーである」ことを宣言してくれたこと、
特番への出演をオファーしたら快く受けてくれたこと、
それらが繋がってのドリカムディスコでした。
すべてはめぐりあわせ。そして夢以上のことが起きた。
このような現実を積み重ねて、
今思い描く「かなえたい夢」は
今の自分には想像できない、
夢にも思わないことが起きますように。
それによって自分だけでなく
たくさんの人が”楽しい”と思える時間と場所が
生まれますように。
こんな感じで夢は「雑」に「ざっくり」と!
#かなえたい夢