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15 Minutes(加藤晃生)

【カテゴリ】小説
【文字数】約10500文字
【あらすじ】
都内のIT企業に勤めるハルカは、モヤモヤした気持ちを抱えていた。仕事が嫌なわけではない。会社はリモートワークを推奨しており、むしろ働く環境は良くなった。だが……。『家で働く』というスタイルに漠然と物足りなさを感じるハルカは、大学の卒論担当だった教員に相談してみるのだった。
【著者プロフィール】
加藤晃生。博士(比較文明学)。人材系スタートアップ、翻訳家、大学講師などを経て現在はフリーランスで商品開発・人材育成・商品プロモーション・サービス開発などのコンサルティングを行う。社会学・文化人類学分野で論文・翻訳多数。2019年からは小説執筆にも取り組み、NovelJam2019グランプリ受賞。またスペインの大ヒット小説「アラトリステ」シリーズやその映画版の翻訳にも関わる。

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 最近、ハルカは自分でもよくわからないストレスを抱えている。
 いや、ストレスというよりはモヤモヤか。

 ハルカは今年の誕生日で29歳。女性。同性のパートナーと江東区のマンションで二人暮らしをしている。

 都心部の大学の社会学部を出たハルカがたまたま入ったのは、中堅というには少し小さめのIT企業だった。創業は1999年だから、今年で21年目という会社である。既に業界では古参の部類に入るが、企業としてはまだまだ若い。

 ハルカが就職活動をしていたのは2012年。まだリーマン・ショックの名残りが残る就職氷河期である。だが、これといってやりたい仕事は無かったから、誰もが知るような有名企業を片っ端から受けた。

 そして、片っ端から不採用となった。

 一方、入念な対策と準備をしていた友人たちの中には3月中には大手広告代理店の内々定をもらっていた者もいた。4月の1週目には、大手商社の内定が一気に出た。続いて有名機械メーカー、有名化粧品ブランド、有名食品メーカー。有名化学メーカー。有名SIer。メガバンや大手損保の事務職も大人気だった。

 友人たちが次々に内定を手に入れていく中で、ハルカはもちろん焦っていた。病む寸前だったかもしれない。そんな時にたまたま、大学の先生に「こんな会社もあるよ」と教えられたのが、今の会社なのだ。

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 ぐう聖とは何を意味するのかよくわからなかったが、ともかく藁にもすがる思いで顔を出してみた説明会から、不思議とトントン拍子に選考が進み、気がつけば内定が出ていた。

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 ハルカの会社の創業者はまだ47歳と、けっこう若い。

 最初はガラケー向けのサービスを展開していたらしいが、早い時期にウェブ広告サービスやアプリの開発にも手を広げ、ハルカが入社した3年後の2015年にはマザーズ上場、翌年には東証一部にステップアップ。いつの間にかハルカも東証一部上場企業勤務ということになっていた。

 入社以来、ハルカは一貫してウェブ広告事業部の営業職である。食品会社や化粧品会社も任され、ディスプレイ広告にリターゲティング広告、SNS広告、リスティング広告とあらゆるソリューションを売っている。担当アカウントの中には、就活の時に落とされた会社も二つあったが、もちろん先方には内緒である。

 仕事内容に不満はない。就活をしていた時には、営業なんて絶対やりたくないという女友達が多かったが、いざ営業職をやってみると、案外出来てしまうものだった。さほどがんばっているつもりも無いのだが、営業成績は何故か入社2年目から上位をキープしている。執拗な電話営業でゴリ押しするというスタイルではないのが、逆に好かれているらしい。

「月曜の午前中のくそ忙しいときに、是非お打ち合わせをお願いしたくとか言って電話かけてくる連中はねえ、もうまとめて地獄の業火でローストされて欲しいですよ。一度名刺交換しただけなのに勝手にメルマガに登録する会社とかね。会社ごとスカルゴモラに踏み潰されろって思います」

 たまに先方のオフィスに顔を出すと、そんな愚痴を聞かされる。机の下で「スカルゴモラ」で急いで検索してから、おいこら通信容量を返せと思ったのはもちろん社外秘だ。

 ちなみに大学4年の4月早々に有名企業から内定をもらっていた友人たちのうち、少なくない数が、月曜の朝から電話をかけまくる営業をしているのをハルカは知っている。誰もが知る(そして就活中はハルカも憧れた)大手人材エージェント企業もその一つ。

 みんなバカバカしいと思っているらしいが、上司にやれと言われればやらざるを得ないのだとか。可哀想に。

 一方、卒論指導の教員が「依佐美くん」と気軽に呼んでいた社長は、噂通りの人格者というだけではなかった。営業スタイルについても、しつこい架電や相手先訪問できっかけを作り、飲み会で実質クロージングするというようなやり方は古いと片付ける。

 その代わり、先方の会社と業界を徹底的に研究して、なるほどと思わせる提案を作れ。それでダメなら根性営業やお色気営業を先方も望んでいるということだから、さっさと次に行け。そういう方針だった。

「だってさあ、最後はキャバクラで脱げば契約してくれるなんて働き方、イヤでしょう?」

 ある日のランチミーティングでのことだ。しつこいテレアポで有名な同業他社に話題が及んだとき、社長が真顔で言ったのだ。

 は? ……脱ぐ?

「誰が脱ぐんですか?」

「若手の男性社員だよ。俺が新卒で入った銀行の先輩がさ、大真面目な顔で言うわけ。良いか依佐美、最後は脱げばなんとかなる。だから今日が勝負という接待の日にはこれを履いて来いって言ってさ、真っ赤なTバックのパンツを渡されたんだよ。これが我が社の伝統だって。営業本部長のなんとかさんも、営業部長のなんとかさんも、さかのぼれば社長も若手の頃はこれを毎日履いて、いつでも脱げる準備をしていたんだからって。でも社長その時56歳でさ。若手つったら30年以上前じゃん。1960年代に男用の赤いTバックなんかあったんですかって聞いたらね」

「何て言われました?」

「赤フンだよ。赤いフンドシだ。それがTバックに進化したんだから感謝しろって」

 皆、爆笑している。ハルカも食べかけのパスタを吹き出さないようにするのにかなり苦労した。

 誰かが尋ねた。

「で、履いたんですか?」

「履かなかった履かなかった。接待でキャバクラ連れてかれたときに、おい依佐美あれちゃんと履いてるだろうなって小声で聞かれたから、あ、すいません忘れましたーって。でも契約取れたけどね」

「さすがですね!」

「だって俺、赤フンは中1のときに履かされたもん。就職してまで赤Tバックなんか履きたくないから、もう必死だよ」

「あの、何で中学でフンドシを履いたんですか? 相撲部ですか?」

「うちって私学でさ。毎年夏休みに中1が志摩の夫婦岩のとこでフンドシつけて遠泳大会やらされるの。フンドシの色はクラスごとに違うんだけど、俺は赤で。ってこれ、セクハラかな?」

「いえ、大丈夫です」

「ちなみに専務の早瀬くんも同じ中学だったから。あいつもフンドシ履いたんだよ。あいつはピンクだった」

 こんな具合だ。
 自分はツいていた。今ではハルカの方が友人たちに羨ましがられる立場である。

 今年の春に新型コロナウィルスが大流行し、日本中が外出を控えざるを得なくなってからも、ハルカの会社はほとんど影響を受けなかった。むしろ「巣ごもり消費」のおかげでウェブ広告仲介の売り上げが伸びたほどだ。

 ハルカも3月半ばから一度も出社はしていない。仕事は在宅で続けている。

 以前からリモートワーク体制は整えられていたし、テレアポや接待に頼らない営業スタイルも皆が身につけていたから、仕事をする上では何の支障も無い。

 ハルカはこれまでより1時間遅く起き、二人でのんびりと朝食を取り、後片付けまで済ませてからおもむろに仕事に取り掛かる。ハルカはリビングで。パートナーは書斎で。たまに猫が乱入して入力中だった文章が壊れることを除けば、怖いくらいに順調だ。何時から何時までは端末の前に居ろという決まりも無い。やりやすいやり方で予算を達成して下さい。それだけだ。

 だが、何かが物足りない。それは何なのだろうか。
 1ヶ月ほど考えているが、見えてこない。
 
 ハルカには、こんなとき(にだけ)連絡する相談相手がいる。

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 卒論の担当だった教員だ。卒業してもう7年経つが、今もなお、何かと相談に乗ってくれるのである。

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 知らなくても良いこと。
 それは何だろう?
 同僚が秘密にしていること?
 それとは違う気がする。自分がレズビアンであることも同僚には知らせていない。仕事には関係無いからだ。

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 ハルカは1年、3年、4年と、この教員のゼミだったのである。

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 フォーマルではなく、インフォーマル。

 たしかに言われてみれば、同僚を含めて完全に在宅勤務になって消滅したのは、業務とは無関係のコミュニケーションだ。それがインフォーマルか。
 ただ、「せんせー」のメッセージを見る限りでは、ええと、ブラウ? ブラウが発見したのは、裏の方法、正規ではないやり方で業務を進めることが珍しくないという話に見える。

 官僚制の組織がオモテウラを使い分けるというのは、たしかにわかる。自分の会社でも取引先でも、暗黙の了解や見て見ぬ振りで仕事の手間をショートカットしていないわけではない。
 だが、それだけならリモートでもやれるのだ。記録を残したくないものは電話をかけて「調整」してしまえば良い。ということは、インフォーマルなコミュニケーションと業務手順が使えないから「物足りない」わけではない気がする。

 では、何なのだろう? 難しい。
 ここでハルカは一旦、「せんせー」とのチャットを切り上げて、仕事に戻った。

 クライアントから届いた「売りたいもの」をチェックし、自社で展開しているどのウェブ広告がマッチしそうかを考え、提案し、見積もりを出す。

 ハルカが担当しているクライアントは大手から中堅まで様々だが、どこも長年続いている会社である。同業他社との競争があるとはいえ、業界そのものがひっくり返るような衝撃的な新製品が登場するわけでもない。会社を支える定番商品が確立されていて、それらの他に季節限定とか数量限定の変わり種がとっかえひっかえ現れては消えてゆく。炭酸コーヒーとかいう意味不明なものが来たときにはさすがにアタマを抱えたが、無事に消えてくれた。先方も苦笑いしていた商品だ。

 クライアントの商品ラインナップ同様、ウェブ広告はウェブ広告で、かなりの程度は方法論が確立されてしまっている。だから、この商品にはこれとこれとこれ、というのがハルカにはすぐにわかる。

 もちろん、ウェブ広告業界のトレンドも少しずつ少しずつ変化を続けてはいる。しかし、そういう情報はSlackで資料が回ってくるし、ZOOMでも話し合う。知る必要があることだからだ。

「せんせー」とチャットをしていた30分あまりの間に届いていたメッセージを順にチェックし、返信する。資料や提案書や見積もりを作る。同じものは一つとして無い。日々、変化している。けれど、今のハルカにはどれも同じもののように感じられもする。

 1時間ほど仕事に集中し、一段落したところでハルカはプライベート用のスマートフォンを手にとった。指紋認証センサーに触れる。画面が復帰する。ハルカの人差し指がチャットアプリのアイコンをタップした。やはり新着メッセージは無い。

 その瞬間、ハルカは自分自身の変化に気づいた。
 気分の変化だ。仕事に集中しているときと、「せんせー」と話していたとき。自分の気分は明らかに違っていた。

 ふと窓から外を見た瞬間のような気分。
 社屋から外に出た瞬間のような気分。
「せんせー」とのチャットには、そんな気分がある。

 どちらが好きとかどちらが楽しい、ではない。ハルカは仕事は嫌いではない。むしろ好きなのだ。だが、それだけでは飽きる。
 ハルカは急いでチャットアプリの「せんせー」のスレッドを開いた。一刻も早くこのアイデアを共有したい。

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 そうだった。会社の中での何気ない会話から、仕事には直接関係無いけれど面白そうな情報が入ってきていたし、それについて自分一人で考えることも多かったし、何か思いついたときには同僚と話し合うことも出来た。

 それがこのリモートワークで消滅してしまったのだ。
 早速「せんせー」の解説が届いている。

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 知識と知識の組み合わせ。

 たしかに、同僚たちとの雑談の中で新しい知識に出会うことは少なくなかった。それが新しいウェブ広告手法のアイデアになってクライアントに採用されたこともあった。そういう時には達成感や同僚との一体感を強く感じた。

 実は、ハルカの部署にもブレスト用のSlackのスレッドは以前から、ある。

 だが、「せんせー」が言うような「知識と知識をくっつける」に繋がっている実感は無い。発言する人は限られているし、話題も当たり障りの無いものばかりだから、通知を切っている人の方が多い。そうなると発言しても反応が返って来ないから、もしかしてここでの発言は迷惑がられているんじゃないかという気分になり、更に発言が減る。今でも発言しているのは、そういうことを気にしない図太い神経の持ち主だけだ。あれはあれで立派だと思う。

 ちなみにハルカは通知を切っている派である。
 雑談専用チャットは自分の「物足りなさ」を満たしてくれないと思うから、そうしている気がする。何かが決定的に違うのだ。

 更によく考えてみる。
 オフィスで仕事とは一見無関係な雑談が発生するのは、誰かと誰かの隙間時間のようなものが重なった時だ。たとえば外出から帰ってきてから席に着くまでの間。たとえば会議室に向かう、あるいは会議から戻る廊下やエレベーターの数分間。だから、部署の全員が雑談に一斉に参加するということは、無い。

 これは何か大事なことを含んでいるのではないか?
 ハルカはサンドイッチを頬張りながら、「せんせー」に自分の発見を報告した。

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《作者より、あとがきではなくて、なかがき》

ここまでお読み頂きありがとうございます。

このストーリーは実際に教え子から聞いたリモートワークのモヤモヤをヒントに書いたものです。リモートワークのためのツールは色々登場していますが、まだ足りない部分があるのではないかということを、経営学や社会学の基本的な知見を踏まえながら考えています。有料部分の最後に読書案内を付けておきます。

もしかしたら作中に登場するウェブ広告会社によく似た会社が現実に存在しているかもしれませんが、もちろん一切関係ありませんよ。はい。全てフィクションです。フンドシも含めてフィクション。

この後の展開は

・ハルカと「せんせー」のディスカッション。
・ハルカ、とあるシンプルなルールで匿名コミュニケーションと実名コミュニケーションを移行させるグルチャを思いつく。
・開発を社長に直談判するも、前代未聞の奇妙なグルチャに、社長の反応は……?
・さらに意外なアイデアが加わり、当初のアイデアからはかなり遠くに来てしまったが、やるしかない!

となります。

ハルカと「せんせー」が考えたグルチャの仕様は後半まで読んで頂ければわかるようになっています。プログラミング技術的には今あるもので簡単に作れるものですから、どなたか試しに作ってみてはいかがでしょうか? 

さてさて、後半まで読むと200円かかりますが、330mlの缶ビール1本より安いわけですから、お気軽にお買い求めいただけると嬉しいです。なお、200円を超える金額を入れても私ではなくサイト運営に入るだけで、私の売り上げとしてはカウントされませんので、ご注意ください。

ちなみに30人が200円ずつ払ってくれると、私の連載回数が1回伸びる仕組みです。

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