6回目の夏休みが終わって。
今年も夏休みが終わった。
長女が6年生ということは、母になって6回目の夏休み。
夏休みといえば宿題だ。
6年生の長女も2年生の次女も、最も手こずった宿題は読書感想文だった。
「何を書いていいか分からない」らしい。
私が子どものころ、一番得意な宿題が読書感想文だった。
言葉が溢れ出して止まらなかった。
しかも、「きっとこの本はこう思ってほしいんだろう」「大人は子どもにこう言わせたいはずだ」というところまで読みとって書いていた。
なんて乾燥した子どもなんだろうか。
そのせいで、私の読書感想文はいつもいまいち評価されなかった。
”子どもらしく”なかった。可愛くなかったんだろう。
読書感想文に留まらず、親に原稿用紙を買ってきてもらっては、自分でエッセイを綴っていた。
大人になって発見し、読み返したことがあるのだが、全然子どもが書くレベルの文章じゃなかった。
難しい言葉を使っているとか、そういうことじゃなくて、しっかり「読ませる」内容になっていた。
しかしいつからだろう。
文章でお金を稼げば稼ぐほど、私は自分の言葉を失ってしまった。
料理人が家に帰って料理を全く作らないのと同じように、
私は私の思考や出来事、好きなものを、好きなように文字にすることは少なくなってしまった。
書くことが、すっかり仕事の手段になってしまったのだった。
子どもの頃の読書感想文を思い出した。
読書感想文は、仕事だ。
評価されなければいけない。
でも本当は、誰かに評価されることが目的じゃない文章を書きたかった。
それを原稿用紙に綴っていたんだと思う。
今のわたしはもう、あの頃のわたしではない。
大人になればなるほど、自由な表現はできなくなっていく。
でももう一度書きたい。
今のわたしにしか書けないことが、きっとある。
「読書感想文はさぁ、納品したら3万くらいもらえる仕事だと思って書いて」と長女に言うと、「はぁ?」と顔を顰められた。
さらに、「文章はリズム感だから。ラッパーになった気分で綴って」と言うと、「マジでふざけないで」と怒られた。
無理もないだろう。
そんなこんなで、どうにか夏休みが終わった。
来年長男が入学するので、あと6年は続く読書感想文。
我が家からリリシストは誕生するだろうか。
私もまた少しずつ、仕事じゃない文章を綴っていこうと思う。
Stay tuned.