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「恐い」という気持ちのメリット

「恐い」という気持ち。それはマイナスな印象を受ける。

しかし、恐いという気持ちがあるから、その危険に対して、十分な準備をすることができる。

例えば、登山をするときに、熊に遭遇するのが恐いから熊鈴を用意する。転ぶのが恐いから登山靴を履く。喉が渇くのが恐いから水筒を用意する。遭難して死ぬのが恐いから地図を用意する。

この例のように、「恐い」という気持ちを感じるからこそ、色んな危機を未然に防ぐことができる。

もし「恐い」という気持ちがなければどうだろうか。この例の場合、熊鈴を持たず、ハイヒールやサンダルを履き、水や食料も持たず、地図も持たないで知らない道を歩むことになる。結末は、熊との遭遇、怪我、遭難、もしくは死である。

したがって、何かの物事を「恐い」と思うことを、恥ずかしいと思う必要なんてない。むしろ、人よりも多くのリスクに気がつくことができる感性を持っていることを誇った方がいい。それを臆病と表現する人もいるが、それなら「怖いもの知らず」はただの無神経とも言える。

中には「怖いもの知らず」な行動を武勇伝のように語る人もいるが、それはただ単にその人の運が良かっただけで、実力でもなんでもない。「運も実力のうち」という言葉があるが、私はそうは思わない。運は運だし、実力は実力だ。

ただ、もし「恐い」と思ったとしても何も対策をしなければ、気持ちは落ち着かないし、リスクヘッジもできない。

だから、問題なのは「恐い」と思うことなのではなくて、恐いのに「何も対策をしない」ということなのではないだろうか。

私自身、人間関係も恐いし、会社の復職も正直いって恐い気持ちがある。ただ、ちょっと前までは、そんな自分を恥ずかしくて軟弱な奴だと思っていたが、今ではそう思わない。

人間関係を恐れる気持ちがあるから、他人に嫌われても気にしない考え方を身につけられたし、承認欲求に囚われないように気を付けようという考えに至っている。

また、会社の復帰が恐いから、それに備えて運動をしたし、生活リズムを整えているし、そういった対策をとればとるほど、恐怖心が薄まり、精神が安定するのを感じている。

だから、これからも「恐さ」を否定せずに、一旦それを受け止めて、冷静に対策を取るようにしていきたい。

そんなことを思った。

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