娘と読書会して「やりたいこと」を考えた
あれやこれや忙しかったり、定期的にやってくる体調不良(更年期と呼ぶらしいが・・・)とここ数日闘っており、昨日も真っ只中ではあったが、娘とある本を一緒に読んでみた。
この本、結構親が読むには「チクチク」する本なのだけれど、帯の「学校や親が重くてしんどい人へ」というフレーズが気になって買ってみたのだった。
「はじめに」で最早つまずいた
なぜ、読書会スタイルかというと、何のことはない、娘が読みたくて買ったのではなく、私が「読ませたくて」買ったのである。
そこからして、展開がよめると思うのだけれど、夕食後のまったり時間、急に寒くなりモサモサ降ってきた外の雪を横目に見ながら、ストーブの前で突然私はこの本を朗読し始めた(笑)
娘に拒否されるかと思ったけれど、案外そうでもなく。でもそれは多分、その日珍しく雪降る中外に出かけて「自動販売機でココアを買う」という行動をとった娘が、想定外の量の雪にまみれびちょびちょになって帰ってきたところを、これまた珍しく私が優しく労った(タオルで髪を拭いてあげたり。色々笑)から機嫌が良かったのかもしれない。
が、「はじめに」を4ページ読んだところで、「え、この文章、文法的にどうなの?」と娘。
「え、そんな学校の国語の授業的な考え方しないでよ」(とは私の心の声)
「しかも、学校行ってないじゃん」(私の心の声パート2)
私にはよくわからないのだが、娘的にどうしても「筆者」の言いたいことが伝わらない文章なのだそうだ。
だからこそ・・・の後がどう結びついているのか、わからないのだそうで。ここ学校じゃないんだし、いいんじゃないの?別に。と結局言ってしまったが・・・。
娘の自問自答が続き、今日はこれでお開きかとおもったのだが、予想に反して「私、学校の授業は嫌いじゃないのよね」と。
ワークが嫌い
授業自体は嫌いではない娘。その後に宿題としてワークが多数出るのが面白くないらしい。しかし、それが興味のある授業や、わからないところの範囲だったらやる気になるのだけれど、例えば興味のない社会の授業だったり、英単語をただただ書くようなものだと辟易するそうだ。
こういう議論になると、いつも私はイライラしてしまうのだが(自分は嫌々ながらもやってきたから)、今日は娘の側に立って考えてみた。まぁそりゃそうだよね。日本の教育って、平均に合わせているから、上の子達にとっては宿題は消化試合だし、下の子達にとっては答えを写して書いちゃうようなものになってしまう。そして、それを伝えたら、「そうでしょう?変だよね。それ。」と。
この子は学校の不条理さを案外冷静にみているんだなぁ。
大人は「やりたいこと」を選んでいるのか
この本の最後に、とても興味深いことが書かれてある。
これ、私の実感としてもそうだなと思う。そしてそれを娘に伝えたら、「そうそう。将来何やるって言われたって、何にもわかんないよ。」と。
母親である私でさえ、「やりたいこと」がわかってきたのは最近のこと(来年50歳^^)これまた「そりゃそうだよね」。
娘の日常と私の挑戦
通常のレールを外れて不安な毎日を過ごす娘に「憧れている」私。実は今、会社員卒業を目論んでいる。ずっとずっと「安定したレール」を直走ってきた私にとって、娘の苦しみを理解することは難しかったのだけれど、会社員を辞めてみるということを考え始めたら、なんとなくその不安がわかるような気がしている。
先の見えないものは、誰だって怖い。「学校」と「会社員」二つのレールの外を歩こうとしている私たち。いや、娘が先輩か。案外うちの娘は度胸が据わってるんだなと変に納得してしまったりした夜。
なんだか話の展開とオチが結びつきませんが、ご容赦ください。