不安と希望と
昨日で3日目だが、娘と夜1時間ぐらい近所の運動公園を散歩している。驚くほど娘は饒舌になり、情緒の安定に散歩はめちゃくちゃ貢献している。お互いのね。
娘の友達関係
歩きながら、どうして学校に行けないのかという話題になった。以前から友達関係に辛さがあるとは聞いていた。でも、きっとそれだけじゃないんだろうなとも思っていた。
まず、お友達との関係については、本人、「自分はドライな人間なんだ」とのことで、四六時中誰かと一緒にいるという関係性がとても辛いらしい。「人間が苦手」とも言ったかな。ドライな人間関係が悪いことと思い込んでいるように見えたので、そこはそう思わなくていいんじゃない?と前置きして、本心を聞いた。
いつも自分は「隠キャ」だから、クラスで目立つタイプの子たちが寄ってくるのだとか。自分の意見を言っていないだけなのだが、受け入れているとおそらく勘違いされていると娘はいうが、とにかくそういう子たちグループに属しているのだとのこと。その中に目立つ子が複数いて、派閥になったときに、自分がどうすればいいかわからなくなるとのこと。
そして、その目立つ子の悪口をその子がいないときにみんな口々に娘に話してくるのだそうだ。
まぁ、大人の世界でもよくあるやつである。それでも思春期の娘にとってはそれが心を痛める大きな原因なんだと思う。
クラスにもしかしたらうちの娘しか友達がいないのでは?という子がいるらしい。娘が学校を休むようになってその子もきっと辛い思いをしているのかもしれない。毎日来るLINEの嵐に耐えられなくなったようだ。まるで彼氏が「別れよう」と言っているのに、空気を読まず返信のない画面に向かってメッセージを連打する彼女のような感じ。
友達関係で辛いのはざっとこんな感じだそうだ。
これを読んでみなさんどうお感じになるだろうか。
私は、最初「こんなこと大人になってもよくあることだ」と考えてなんとか適当にやり過ごせばそのうちどうにかなるよ。だからちょっと我慢して学校に行ってれば、そのうちなんともなくなるよ。ぐらいに思っていたし、言葉にも出していた。
でも、娘にとっては「こんなこと」レベルではないみたい。
ちょっと脱線するが、今学んでいるポジティブ心理学コーチング(NYLB研究所)では、「今現在すでに持っているもの」にフォーカスして感謝するところからコーチングを始めるのだが、昨日も歩きながらこの強みフォーカスに意識を集中していた。だからこそ、今まで「ちょっと我慢すればなんとかなるんじゃない?」的思考がそうではないことに気がついた。娘が辛い尺度は私とは違うってことだ。
もう一つの不安
さて、友達関係の他にまだ何かあるんじゃないかな?と思っていた私は話を進めた。「この先」どうする?と。「どんな道が見えるかな」と聞いてみた。
「先なんか見えない」
あーやらかした。と私は思った。そうか道が見えないから不安なんだよねと反省。ついコーチングが理想の未来を描くことだという固定概念があるからこういう質問になる。
質問を変えた。「今、どんな道を歩いているの?」
娘には2本の道が見えて、今、そこの分岐点に立っているのだという。1本の道はまっすぐ伸びているけれど、ボコボコしていてとても歩きづらい。そこを歩いていけば、多分人から耳にしているような人生、つまり中学から高校、大学に行き就職。みたいな人生があるのだろうとのこと。
もう1本の道は、左に大きく逸れていて、霧の中を歩くような草ボーボーの道なんだそうだ。ボコボコのまっすぐ道を行くより楽だけど、霧の中でいつ沼に落ちるか、崖から転げるかわからないんだそうで。
ボコボコまっすぐ道がいわゆる普通のレール
霧の草ボーボーの道が今、娘が選択しかかっている道
「ボコボコ」の理由
なぜ、普通のレールはボコボコなのか?と聞いてみた。前述の友達関係はもちろんあるらしいが、それだけではないらしい。
いきなり、「ママって帰ってきてからうちで仕事する?」と聞かれた。「いやー、昔はそう言う時もあったけど、今は副業が楽しいから、できるだけ定時に帰ってくるようにして、仕事(本業)はしないよ」「そうでしょ?大人だって会社が終わって家に帰ってきたら仕事しないのに、なんで子どもは家に帰ってきても勉強しないといけないの?」
至極当然な疑問ではある(苦笑)
娘は授業は嫌いではないそうだ。でもその時間以外にやるワーク、ただただ範囲を指定されて締め切りがあって問題を解く意味が全くわからないと。長時間学校という場所に縛り付けられて特にやりたくないワークの連続や、興味のない授業に時間を持っていかれるのが耐えられないらしい。
ここまで聞いてみなさんどう思われるだろうか。(2度目)
私は、この疑問、すごくよくわかるのだ。私も小さい時そういう風に思っていた。学校が嫌いだった。友達関係も実は面倒だった。ズル休みも結構した。けれど、私のカチンカチンの頭では「学校にずっと行かなくなる」という発想はなかった。だからどうにかこうにか普通のレールにのり、大学まで出て就職した。
「そんなのわがままだ」と思われる方も当然いると思う。みんな色んなことを我慢しながら毎日やっている。娘の学校に対する考え方も今の日本の教育制度に鑑みたらめちゃくちゃわがままな意見だ。
今のままでいいのか?
一方の霧で草ボーボーの道。なぜ、霧が出ているの?と聞いたら、今、家でクラスジャパンで授業を受けているだけだと、この先に希望が見えないのだそうだ。特に時間割の指定はなく、全く生徒任せなところもある。それは、不登校の程度というか、「起き上がるのもやっと」の状態の子もいれば、娘のように普通に活動している子もいるから仕方ないのだと思う。
娘は、勉強そのものが嫌いなのではなく、勉強の方法に問題を抱えている。やりたいことをやりたいように突き詰めたい願望がある。でも、それを貫いた先に何があるのか、「生きていけるのか」(自分でそう言った・・・)わからないんだそうで。クラスジャパン小中学園に在籍すれば「出席認定」がもらえるように中学校と交渉してOKになった。高校入試の評定に関わってくるから一歩前進しているように見える。
でも、娘は今の日本の教育制度にはおそらくフィットしない。そんな娘が中学校に行かず、でも評定だけもらって受験し、高校に行って果たして通学するのだろうか?
他の選択肢が浮上してきたが、長くなったのでまた次回。先生との葛藤もまた次回に。