記録という名の自分との対話術と客観視能力の取得の仕方。
おはようございます。
こんにちは、今晩は。ayaです。
こうして執筆しながら色んなことを
脳内からアウトプットする生活を始めてからと
いうもの、色んな出来事や事柄、思い出話などが
走馬灯のように言葉で走り抜けるような感覚を
味わうことが増えたような気がします。
そこで今日は完全なる個人的な主観の世界を
前提に、記録と言葉と思い出の結びつきによる
潜在意識についてお話ししたいと思います。
まず始めに、
皆さんは日記を書いた事がありますか?
なんでもいいんです。
ノートにでも、メモ帳にでも、
現代でいう、SNS上にでも。
子供の頃に今日起きた出来事をスラスラと書く
ものもあれば、殴り書きのように、感情任せに
走り書きしてあったり。
悲しみをぶつけたり、気づけば人生の分岐点の
悩みであったり。
なんだかんだ気がつけば遠のいてしまう存在では
ありますが、何故かふと"日記" を
書きたくなるんですよね。
そんな時にふと思ったんです。
「なんでこう、思い出したように
書きたくなっちゃうんだろう。」と。
これまた思い出したかのように昔の日記を
読み返してみるんです。
人間って 不思議と過去に戻りたくなる性質を
持ってるんだと思うんですよね。
潜在意識の中に。
あの日あの人と聞いた曲のワンフレーズを
聞くだけでその時の感情まで舞い戻ってきた
経験、ありませんか?
そしてその時の感情と、今の感情が重なって、
良所と悪所の選別ができるような感覚、
体験した事ありませんか?
" 自分自身を客観視する " 事が出来るようになる
為には、その一瞬一瞬を書き留めた言葉と
"向き合う"事が一番重要なんだと私は思います。
今でも私は書き留めます。
ありとあらゆるツールを使用します。
to doリストからiPhone内のメモ帳、
こうしてnoteに書き留める事も。
" 何かに自分を残す"ことを
意識してみてください。
自分自身を改革するにはまず客観視出来る目を
養う事です。
あとは必ず自分に正直でいることです。
今の自分に素直でいることです。
正直、信じてあげるのも認めてあげるのも全て
最終地点は "自分" です。
私はいったいどういう人間なのか、
どういう気質をもっているのか、
何に長けていて、何に劣っているのか。
何気ない日常の狭間に 沢山答えが
落ちているものなのです。
だから私は友人にも家族にも言い続けている事が
一つあります。
それは、
「時にはしゃがみ込む事も必要な事。」
案外ポロポロ落ちているものです。
日々自分という名の人生の中で無駄に生き急ぐ
必要性は無いと思います。
自分をしっかり客観視して、
自分自身を認めてあげて、
自分自身と対話できる環境を身につけます。
それは必ず対人関係にも必須事項です。
相手を客観視する、
相手の立場に立って話をする、
相手の感情を受容する。
それは介護に関わらず、
人生の一部に必要不可欠なものです。
自分自身を客観視して、
成長できる分岐点を探してみてはどうでしょう?
読んで頂いてありがとうございました。
では、また^^