時間は有限に感じた。(日記からの抜粋)
ボクは本を出版したいと思っている。が文章が超がつくほどのド下手なのである。思考をアウトプットするためにnoteで発表していきたいと思う。
文章がおかしいところもあるがご了承いただきたい。
それでは
1月27日(火)のこと
ボクは自分の空間やタイムスケジュールが脅かされることがあるとドキドキし不安になる。今日の1日の予定をこなす事ができるのか?1日の作業量は減らさないとダメ?とかを考えてイライラしまう。
今日は昼ごはんを食べているときに母から話しかけられた。ボクは心の中で「また話が長くなる。母の話ばっかりになる」と思い身構えた。案の定話は長くなり、母による自分の都合のばかりの話。
ボクは次の予定があり、出発の時間が差し迫ってきたので、心の中で「あぁ予定通りにことが進まないな」と感じ余裕がなくなってくる。
ボクは母に対して言葉は きつめ になり、イライラの気持ちが高まりマックスへと近づいてくる。
少し言い合いになるが その場を切り抜けた。
その後カフェに行く。スタバの新作の『クラシック ショコラ ラテ』を注文。一口飲む。ボクは「はぁ〜」と一息して落ち着いた。
ふと思った。なぜ時間に対してこだわりや執着があるのか…
さかのぼってみると幼少期? 7歳から9歳のときの情景を思い出す。
その日は 晩ご飯を家族で すき焼きを食べているときだった。美味しく食べていたのを思い出す。
父は急に一言「過ぎ去った時間は戻らない。だから時間は大切である。時間は命である。」と言われた。
『時間は命』この言葉が僕の中で刻まれた。一度過ぎた時間は戻らない。確かにそうだ。
その頃から異様に時間を気にしていたように思う。
次に時間に関する事柄はハタチを超えたときになる。
ボクが24歳のとき、父の父、ボクから見たら祖父が亡くなった。
ボクは父に聞いた。「どんな思い出があったの?」
そのときに父は「ほとんど思い出がない。祖父と、もっと時間を持てばよかった」と言われた。
ボクは思った。人生で思い出されることもない。亡くなる最後に後悔する。こんな悲しいことがあるだろうか。ボクは父の気持ちになり非常に後悔に歳悩ませれた。そしてボクは「今まで父は何をしていたのだろう?」と思った。
それまでに時間はあるわけだし、後悔するぐらいなら、しておけばよかったにと思った。
ボクは祖父が亡くなったことをキッカケに『人生後悔』にしてはダメだと。時間は有限でいつ亡くなるか わからないから全力で生きることが大切だと思った。
母との話を戻そう、母はボクの命の時間を平気で奪ってくる。時間は命なのに…ボクは母が雑に時間を扱うことに腹が立つのかなと思う。
時間は有限だ。1日の中の時間は自由に使える。何をするかで未来は決まると思う。ボクはその瞬間に希望を持てて喜びを感じることに時間を使いたい。
拙い文章にお付き合いありがとうございました。