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躁鬱患者がうっかりアフターサンを観た話

観ていて動悸がする映画は初めてだ。
観ていてこんなにも、早く終わってくれと思った映画は初めてだ。

今回は精神疾患描写がリアルすぎて気分が悪くなった映画「aftersun(アフターサン)」の感想と考察を書き留めたいと思う。
気分が悪くなったと書いたが決して貶める意味ではなく、恐らく登場人物と同じ病を患っている私にはリアルすぎた、という個人的な理由なので批判的な内容ではない。

まず物語の簡単なあらすじを書くと、離婚したため滅多に会えない父カラムと娘ソフィはある年の夏、トルコのリゾート地(タンゴ)で二人だけの休暇を過ごす。
その20年後、当時の父と同い年になったソフィは、その時に収めたビデオテープを見返しながら、あの夏の思い出を再生すると共にかつては気づかなかった父の一面を見出していく……といった感じだ。

あらすじだけ聞くとノスタルジーなバカンス映画だと思うだろう。
実際、私もそういう映画だと思って朝からウキウキしながらアマプラを開いた。しかし、蓋を開けてみれば父カラムがどうみても双極性障害(以下躁鬱)を患っているし、その姿に既視感を覚え自分と重ねすぎて、鑑賞したその日は何も手につかなかった。
それほどカラムの危うさはリアルなのだ。

ここからは私の経験を交えながら、カラムの精神状態を考察していきたいと思う。
先ほども述べた通り、カラムは明らかに躁鬱を患っていると思う。しかも、少し特殊な混合期だ。

躁鬱とは簡単に言うと、テンションがハイになりすぎる躁状態とテンションが下がりまくる鬱状態を交互に行き来する精神疾患だ。
その行き来する周期は人によってそれぞれだが、一般的に鬱状態の方が長く続くものだ。そして先述した混合期とは、躁状態と鬱状態が文字通り混ざっている時期である。
気分は下がっているのに行動的になったり、ハイテンションかと思いきや急に落ち込んだり……通常の躁と鬱、単体の時よりも何倍も自殺する確率が高くなる時期だ。なぜなら躁によって高まった行動力を、鬱によって増幅した希死念慮の実現に使ってしまう可能性があるからだ。

説明が長くなってしまったが、カラムの躁鬱(混合期)を思わせる描写を一つずつ見ていこうと思う。

まず気になった描写として、カラムが眠そうにしているシーンが多かったことだ。ソフィと遊び疲れて眠そうにしているという見方もあるが、昼間から砂浜に寝転がって眠そうにしてるシーンはどうも疲労には見えなかった。
眠いと言うか眠気に抗えない、ぐったりとしているように見える。
眠気は鬱の代表的な症状の一つだ。
私も何度も経験したことがあるのだが、歩いていても眠い、何をしていても眠い、寝不足の眠気の比じゃないのだ。

しかし、元気そうに遊んでるシーンも数多く見られる。
特に印象に残っているのは水球をする場面だ。ソフィに有無を言わせぬ勢いで水球を楽しむ場面はかなり違和感を覚えた。
私には、カラムは落ち着いていて、相手の歩調に合わせる性格の父親のように見えた。そんなカラムは時折ソフィの意見など耳に入れず、自分の意志を押し通す。
護身術を教える場面だってそうだ。ソフィはどう見ても嫌がっているのに、カラムはまるで焦燥感に煽られたかのように身を守る術をソフィに叩き込む。

夏のバカンスのゆったりとした空気のように、穏やかでどこか眠た気なカラムが、焦っているとも捉えられるほど急に行動的になるのは、やはり躁と鬱のせいなのだろうか。

次に気になった描写は浪費と多動だ。
浪費と多動は躁状態の代表的な症状である。
アフターサンの正確な年代はわからないが、仮に映画公開時の20年前、つまり2002年だとすると物語中盤でカラムが買ったあの絨毯は日本円で約16万もする。
カラムは決して裕福ではない、ソフィに「お金ないのに無理しなくていい」とボイストレーニングを断られるほどだ。それなのに高価なものを買ったカラムの顔は高級品を手に入れた満足気な顔ではなく「ああ、買ってしまった」という虚無な空気を漂わせていた。

また、カラムは冒頭でもあるように変な動きをよくする。
何の前触れもなく唐突に、だ。
側から見ればどうした?と思われて当然だが、なぜか急に踊りたくなる気持ち、私は凄くわかる。動かずにはいられない、何かに駆り立てられたかのようにテンションの高まりを表現したくなる、そういう状態だ。
しかし、その後ソフィに「11の時のパパは将来何してると思った?」と質問され、急に顔が曇り、ビデオを止めさせる。
わかりやすく躁と鬱がほぼ同時に現れている。
躁鬱にあまり詳しくない人が見ても、このテンションの落差には違和感を覚えるだろう。

そして最後に気になった場面は、カラムが自殺を試みるベランダのシーンと夜の海のシーンだ。
特にベランダのシーンは唐突すぎて度肝を抜かれた。
それまでずっとソフィとのバカンスを楽しむ場面だらけだったのに、急にカラムは自殺を試みる。これは鬱によって心のどこかで芽生えていた希死念慮が、躁によって高まりすぎた行動力に結びつき「せや!自殺しよ!!」と勢い余ってベランダの柵に登ったり、入水未遂をしたのではないだろうか。

入水に失敗したカラムはホテルに戻り、ソフィが帰らない静かな部屋で一人むせび泣く。このシーンの演技は本当に凄かった。
さっきまで死に向かうほど行動的だったのに、急に落ち込んで泣くことしかできない。カラム役ポール・メスカルの泣きの演技に感動すると共に、自分にも心当たりのある堕ち方で一番動悸がしたシーンだ。


「凄く楽しい1日を過ごした日の夜、何でもないのに落ち込んじゃう時ってあるでしょ?」
うる覚えだが、私がこの映画で一番好きなソフィの台詞だ。

この台詞は恐ろしいほど完璧に躁鬱を表した言葉だと思う。
自分の意思とは無関係に沈んでいく気持ち、止められない希死念慮。

躁鬱とは自分でコントロールできないから恐ろしいのだ。
別れても良好な元奥さんとの関係、自分を好いてくれる一人娘。
幸せに満ち溢れているのに、どうしようもなく死にたくなってしまう。
そんな恐ろしい病をこの映画は酷く忠実に描き出した。

いい映画だった。
ただ、もう二度と観ることはないだろう。
”観ない”のではなく”観れない”のだ。
そのビデオテープはあまりにも鮮明に、彼の最後の夏を映しているから。


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