『いい子』の呪縛を解き放て!
ちょっとセンセーショナルなタイトルにしてしまったのだが、もちろん『いい子』そのものを否定しているわけではない。
本人が自然に振る舞っている上で、『いい子だね』と思われる子に呪縛なんてない。
ここでいう『いい子』とは、親の望む生き方を選んで、自分のことをないがしろにしてしまっている人の事だ。
『いい子でいないと…』『期待に応えなきゃ…』
こんな風に、親が求める『いい子』でいることをノルマにして生きると、極度の生きづらさを感じる時がきてしまう。それが『いい子』の呪縛によるもの。
『いい子』でいるための努力は、やってもやっても報われない。なぜなら、『いい子』の自分を褒められても、そこで親から得られるのは、あくまでもその振る舞いや結果に対する評価であって、愛されている実感ではない。
その上『いい子』を求める親は大抵、できていることのみならず、できるようになったことについてもその時点から『できて当たり前のこと』と、みなすようになる。
なぜなら、今より『いい子』を目指すことが我が子にとってプラスに違いないと思い込んでいるからだ。
そんなわけで『いい子』の評価を得るための努力も、どんどんハードルが高くなっていく。
言うまでもなく、受験や就職、結婚、子育てなど、人生のあらゆる場面で親の意図を汲んで生きることになるのだから、そこに自由などあるはずもない。
親の前で『いい子』を続け、一定の成果を出した人の多くは、社会生活においても『いい子』でいる事を選んでしまう。
そんな『いい子』を続けた大人が生きづらさに気づいた時には、もはや自分が本当はどう生きていきたいのか、何をしたいのかさえもわからなくなっている。
これでは『自分の人生を生きている』とは言えない。
それなら、そんな生き方はさっさとやめてしまえばいいじゃないか、と言いたくなるものだ。
だがこの呪縛がやっかいなのは『いい子』での成果を出してしまった人は、『こうなった自分を親は喜んでくれているから…』と、やめることを簡単には受け入れられない。
と言うのも、子は親から承認されたいだけで『いい子』でいる努力をしたわけではない。もう一つの動機として親への愛があるからだ。
だからこそ、『いい子』をやめることで、親を失望させたり、悲しませることは望まず、自分を犠牲にしてでも、親の幸せの方を選ぼうとしてしまう。
そんな愛が根底にあるがゆえに、その呪縛を解く事はそう単純なことではないのだ。
あなたがもし、このような親への愛から自分らしく生きることを選び直せないなら、次の問いかけに答えてみて欲しい。
『子を愛する親』というものは、子が幸せであることを望む者なのか、それとも親の描いた幸せの中で子が生きることを望む者なのか?
子を愛するのなら『子が幸せであることを望むはずだ』と、あなたは答えるのではないだろうか。
なぜなら、あなたは親の幸せを望み、辛い呪縛の中を生きてきた人なのだから。
もし後者を望むような親であるならば、その親は愛し方を知らない。そのせいで、良かれと思って自分の価値観でわが子の人生を先導し、自由を奪っていたことには気づいていない。
悲しいかな、それで『愛している』つもりなのだ。
あなたがそれまでの生き方を変え、自由を選択し始めると、親は驚き、憤り、悲しみ、葛藤を感じ、あなたを責めるかもしれない。
だが、その感情を乗り越え、子の自由を受け入れることができてこそ、本当の意味でわが子を愛せるのだ。
言い換えれば、あなたが『いい子』をやめて自分の人生を自由に生きることを選ぶことは、子への愛し方を誤解している親に、愛を気付かせる可能性ともつながっている。
そんなわけで『いい子』の呪縛から解き放たれることは、親と子にとって、愛に向き合う大切な一歩となることなのだ。