「いつか本を出してみたい」とやっと認めた日のこと
「あぁ、やっぱりいつか、自分の本を出してみたいな」
ふと、図書館の中で思った。思う、よりも、決めた、に近い感覚だった。
✼••┈┈┈┈┈┈••✼
最近、試験勉強をするパートナーの付き添いで月2,3回のペースで図書館を訪れる。
図書館の素晴らしさを実感する、今日このごろ。
だって、エアコン効いてるし、買わなくてもたくさんの本を見たり、触れたりできる。静かなので作業をするのに集中できる。そして、無料。公的な場所、サイコー!ありがたい!
今日は、ランチ直後で満腹なせいか、なにか作業する、という気持ちが湧いてこない。座っていたら寝てしまいそう。館内をうろうろすることにした。
気になるタイトルや表紙を見つけては、パラパラ。まだまだ私の知らない世界がたっくさんあるんだなーと、紙に触れ、文字に溢れた空間全体を見渡して、実感した。
しかし。世の中にはこんなにたくさんの本が溢れている。図書館内にある本は、世の中のごく一部の本でしかない。それなのに、毎日のように新しい本が出版されている。最近は電子書籍もあるので、合わせれば膨大な数だ。
数年前に比べ、noteユーザーも「いつかエッセイを出したい」と書いている人をたくさん見かけるし、「Kindle出版しました!」という人もよく見かける。
ライター業界も、書きたい人が溢れているように感じる。読み手と書き手では、書き手の方が圧倒的に多いのではないか。
そんな多くの本で溢れている、現代。なぜ人は本を書きたがるのだろう。
……しばらく考えてみたが、答えは出なかった(笑)。
きっと、「表現したい!」は人間のシンプルな欲なのだと思う。
音楽が溢れていても曲を生み出す人がいつづけるし、アートが溢れていても生み出す人が常にいるのと同じ。
✼••┈┈┈┈┈┈••✼
「本を出したい」という人を見るたびに、「そんなこと言っても売れないでしょ」とか「当たり前のことが書いてあるだけじゃない」とか。黒いアメーバのような、とっても失礼な感情がムクムクと出てくる感じがあった。
アメーバくんが出て来たり、誰かに本を書いてみたら?なんて言われるたびに「いやいや!わたしは本を出したいわけじゃないしっ!」と強がって跳ね返す。それを数年間、続けてきた。
そんな抵抗を続けてきた私が、突然今日
「うーん、やっぱり本を出してみたいんだよね」
と、思ったのだ。
今日も、何で本を出したいのか、どんな本を書きたいのか。少しだけアタマの中を整理しようとした。でも、無理だった。
そもそも、何かをするのに理由をクリアにする必要があるのだろうか。やってみて、時間が経ったときに「あぁ、わたしはこのために行動したんだ」と気づくことだってある。気づくタイミングは死ぬ間際かも知れないし、死んだ後に誰かが意味づけしてくれるかも知れない。
だったら、「やりたいからやる」それだけでいいんじゃないか。
✼••┈┈┈┈┈┈••✼
先日、公式LINEで「思考をシンプルにしてみよう!」というテーマでカードリーディングをした。ある方にお伝えしたメッセージが「やりたいからやる、それくらいシンプルで良さそうです」だった。
これー!じぶんに言ってるやつじゃ〜ん!!!(笑)
どんな内容で、どんな場所で、どんな形で、誰と一緒に。
そんなことは今はどうだっていい。
「本を出してみたい」
とりあえず、こう決めるだけにしてみた。
もしかしたら、今の文章も本のプロローグで登場するかも知れない。
今は、書きたいこと、アウトプットしたいこと。
それを一つ一つ、書き出すのみ。
シンプルに書きたいことだけを。
ここから先は
故に我チャネリング人生なり
(無料記事もたくさんあり〼) 直感を受け取って、行動。また直感を受け取る…… そんな私のことを人は「チャネリング人生」と名付けました。 …
読んでくださり、本当にありがとうございます^ ^