綾瀬駅の南口で 南口綾瀬さん『ぼっちママ探偵』
待ちに待った南口綾瀬さんの『ぼっちママ探偵』を読み終えた。
南口さんのことは、アリエルさんの記事がきっかけで知った。
それから著作を読み始めて、以来、私にとって「南口綾瀬」はずっと「推し」の作家さんだ。
あまりに感銘を受けて、ラブレターのような書評も書いたことがあるくらいだ。
南口さんは本を創る。
執筆も装画も装丁も、kindle本の発売も販売も、国会図書館および各地図書館への寄贈も、全部ご自身でやっていらっしゃる。
これがどれほどすごいことか、一瞬でも「やってみよう」と思ったことのある方ならきっとわかっていただけると思う。
まず「絵」が描けない私には、そのとんでもない才能にひれ伏すしかない。
これまで出された本のすべての表紙とデザインは、綾瀬さん自らが手掛けているものだ。どれも本の内容に即した装画で、うっとりとなる。
作品を読んでいると、南口さんはどちらかというと理系なのかなと感じる。結構理詰めで伏線を組み立てている気がするのだ。
でもだからといって窮屈な感じになったり敷居が高い感じには、絶対ならない。一見きっちり組み込んだと見せない細やかな伏線が、最後の一行で氷解する爽快感といったらない。
アリエルさんも「束縛」レビュー記事の中で言っている。
これは間違いない。
私もアリエルさんの隣でうんうんと頷く。
もちろん、この『ぼっちママ探偵』も二度読みによってさまざまな細部がクリアになる。違う物語が見えてくる。
「あっ、そっか。ここがこうなってこうなってたのかぁ!」
「だからこの人、こんなことしてたんだ」
「なーるほど、道理でこんな風なこと言うわけだ~」
思わず快哉を叫んでしまう。
二度読みなんてハードルが高い、と思われる方もいるかもしれないが、これが不思議なことに、手が勝手に最初に戻ってしまうのだ。なんの苦も無く最初から読み返してしまう。
それが、楽しいから。
しかもこの『ぼっちママ探偵』は、前三部作(『針の上で歌う』『彩のない天使』『束縛』)や『主人公はだれだ⁉』とところどころリンクしている(全部ではない、と思うが、私が気が付いていないだけかもしれない)。
これまでの作品を読んでから読むと、これがまたゾクゾクするほどの面白さを感じることができる。
南口さんのお話にはどれも、「子供」が鍵として登場する。
実際に年齢の幼い人のことばかりではなく、自分の中の子供、インナーチャイルドの場合もある。人は自分の中の子供と何らかの折り合いをつけて生きていることを思い出させてくれる。
それが心に刺さったり、沁みわたってくる。
これがたまらない魅力だと思う。
ところでnoteを読んでいると、人間関係について繊細な感性で思索されている方がたくさんいると感じる。
社会に生きていて人間関係が楽勝だなどという方はよもやいらっしゃらないと思うが、特に子育て中の人間関係は、学生時代や会社などともまた違った難しさがある。「自分以外の、でも自分にとって大変大事な存在」がかかわってくるから厄介なのだと思う。
先日の千世さんの記事も、そんな記事だった。
千世さんのこの記事は、スピカさんのこの記事から思い出したことを書かれたとのことで、スピカさんの記事も読ませていただいた。
どちらの記事の内容も、ああそんなこと確かにあった、と思うことばかりで、そのたびに悩んだりモヤモヤしたり、悔し泣きをしたりしたことが思い出された。
『ぼっちママ探偵』からも、そんな共感と思い出があふれてくる。
でも、どんなときだって、「ぼっちママ」はただ嘆いているだけではない。知恵と工夫で人知れず事件を解決に導くすごい人なのだ。
しなやかなスピリッツをもつ主人公と娘さんに拍手を送りたくなる、『ぼっちママ探偵』。
作品について語りたいことは山のようにあるが、ひとまず今回は記事をもって熱烈に「推すすめ」させていただくのみにしておく。
読者に軽々と二度読みさせる作家、南口綾瀬さん。
noteの「綾瀬駅の南口」で出会えた興奮はいまだ冷めやらない。