Movie 5 いつかのその日『PLAN75』
第75回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門(というのがあるのを初めて知りました)に出品され、監督が「カメラ・ドール(新人監督賞) 特別表彰」に輝いた映画、「PLAN75」。
観に行く前に、近未来の日本が舞台だとネットで読みました。
75歳になったら自分の生死を選べるようになるという制度ができた「日本の未来の社会の話」だと。
いわゆる「ディストピア」ものです。
そして日本人にはなじみ深い「楢山節考」「姥捨て山」の世界でもあります。
ちなみに、カンヌ映画祭では、1983年に今村昌平監督の映画『楢山節考』がパルム・ドール(最高賞)を獲得しています。
欧米からすると、特に日本独自のメンタリティを感じるテーマなのかもしれません。
今回の映画「PLAN75」の元となったのは、2018年のオムニバス形式の映画『十年Ten Years Japan』。もともとは香港の、「10年後の世界を5人の若手監督が描く」オムニバス映画の日本版として、是枝裕和監督が総合監修を務めた映画だそうです。
その中で、早川千絵監督が短編版の『PLAN75』を手がけ、今回、日本・フランス・フィリピンの合作映画となる長編版として撮り直したものだとか。
「近未来」…かなぁ。
私には、映画の中の時間は2020年代より未来ではないように感じられました。
映画の中で「ミチ」という名の倍賞千恵子さん演じる女性がカラオケで歌う「りんごの木の下で」。
調べたら、もともとは戦前の米国の歌で、1937年にディック・ミネさんが日本語訳で歌った歌だとありました。
映画的には、この歌も歌詞も、情緒的かつ効果的に作用しています。
でも私は少々、違和感を感じました。
ミチさんは何年生まれなんだろう?
確かお父さんがこの歌が好きだったとか、劇中どこかで語っていたような気もします。でも、たとえ個人的に78歳のミチさんがこの歌が特に好きだったのだとしても、これが「近未来」だとしたら、歌う歌が古すぎないかと思ったのです。
それにしても、ミチさんが同僚とカラオケに行くシーン。
「年寄りは昔の歌が好きで、好んで歌う」というセオリーやバイアス、思い込みがあるんじゃないだろうか、と思うワンシーンでした。
たとえば今から10年後の2030年代の70代~80代はおよそ1950年代の生まれです。若いころ聴いた歌として選ぶなら、少なくとも1960年代以後の曲を選曲すると思うのです。
1957年生まれの私の従妹はユーミンの大ファンでした。
早くに亡くなってしまったのですが…
従妹が健在で、このお話が今から10年後の「近未来」のものなら、2032年にはちょうど75歳です。
従姉なら、カラオケでは絶対、ユーミンを歌っただろうと思います。
10年ほど前、美容院で髪を切ってもらっている途中で、美容師さんが「いつか、お年寄りに向けた美容室を作りたいんです」と夢を語ってくれたことがあります。
確かにお年寄りはこれから増える一方なのだし、「大衆」としてコアな世代へのサービスに特化する戦略はいいかもしれません。
私もそう遠くない未来にその一員になりますし、自分が年輩になったときにそういう美容室があったら、気兼ねなく行けていいかもしれないな、などと思い、それはいいですね、と相槌を打ちました。
すると彼は「ね、いいでしょう。こんな、アメリカのポップソングなんかじゃなく、演歌なんか流してね」と言ったので、驚きました。
つい、「その美容院が今すぐ、でなくて十年後、二十年後とかなら、その時代の高齢者は演歌を好んで聞かないと思う」と言ってしまいました。
そもそも、老人専門だからと演歌をBGMにしている店に、入りたいだろうか…
年寄りは、昔の歌が好き。演歌が好き。時代劇が好き。
無意識に思い込んでいるんじゃないだろうかと思った出来事でした。
ほかにも、スマホ使えない。PC使えない。システムに対応できない。
こんな要素も、そこかしこに伺えます。
「プラン75」は、ミチさんの世界では、プランはプランでもまるで旅行のプランかなにかのような扱いです。
「死ぬか生きるか選べますよ」「自分で決めてください」「いつでもやめられます」と、個人に丸投げの、いかにも政府が好んで言いそうな自己責任制度です。
CMなどの広報も、まさにそんな感じのを作りそうなムービー。
そこのリアリティには変な関心をしてしまいました。
その反面、社会全体が、「プラン75」を選ばざるを得ないような状況に、高齢者を追い込んでいきます。
仕事を奪い、住まいを奪う。
時には「高齢者は敵」と思い込む若者に高齢者が虐殺される事件も起きます。
ただでさえ身寄りのない高齢者には「生きていてすみません」と思わせるような仕打ちです。
実際「プラン75」を選んだ人が、手厚く葬られるかと思いきや、実態は…
ネタバレになるので詳しくは語れませんが、私にはアウシュビッツを彷彿とさせるようなものでした。
ドクターキリコノホウガ、マダマシカモシレナイ…
オカネカカルケド…
と、ちらっと思ってしまいました。
この映画は群像劇として、「プラン75」の職員(磯村勇斗さん)と、制度を利用する彼の伯父さん(たかお鷹さん)、「プラン75」の運営に関わる相談員の女性(河合優実さん)、施設での死後処理に関わるフィリピンからの出稼ぎ女性(ステファニー・アリアンさん)などに焦点が当たっています。
しかし、伯父さんに対し責任を感じる職員(ヒロム)も、彼の手助けをするスタッフも、相談員の女性も、自分の仕事にモヤモヤを感じていたとはいえ、行動じたいはどことなく場当たり的で、衝動的な気がしました。もう少し、誰かに的を絞ったお話しでも良かったのかな、と思いました。ミチさんの人生にしても「プラン75」のサービスの一環である「15分の電話相談」で断片的に語られるだけで、詳しくはわかりません。
早川監督は、この映画を若い人にみて欲しい、とインタビューでおっしゃっていましたが、私が映画館に足を運んだ時の鑑賞者は、ほぼ100%に近いくらい、中高年以上でした。
高齢者にとっては、差し迫った問題として「もしも」を考えさせられますから、観賞しようという動機としては高齢者が多いのは当然だと思います。
若者がこぞって観に行くには、ちょっとハードルが高いかも…
ところで、同じようなテーマを持つ小説に、『ザ・ギバー』があります。映画にもなっていて、これも管理社会ディストピアの話です。
ファンタジーという枠組みの中で描かれたお話ですが、こちらも、生きるということ、幸せとは何かを考えさせられる名著です。
多和田葉子さんの『献灯使』、平野啓一郎さんの『本心』なども近未来ディストピア小説ですが、こちらもそれぞれ、深く心に残る作品となっています。
この映画を観て、これらの作品を、また読み返したくなりました。
75歳になる。
若い頃は、自分が50歳になるなんて、ものすごく遠い未来だと思っていました。当然、75歳になる自分など、想像もできませんでした。
でも、50歳になってしまいました。
あっけないものでした。
今は、75歳なんてすぐ来るような気がします。
姥捨て山と、プラン75、どっちがいいですかと聞かれるその日が、もしかしたら本当に…