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負の連鎖を断ち切るか否か、その分水嶺 Ⅵ 補足

優越欲求と洗脳

カルトは、普通のひとに選民意識を持たせることで取り込むと聞いたことがある。
たしかに行き過ぎた優越欲求はひとを狂わせると感じる。

自己愛的な加害者に加担する、取り巻きたちの悪質さもこの手のテーマには必ず出てくる。

取り巻きの一人が自己愛の正体に気が付いて離れようとすると、
残った他の取り巻きたちから攻撃されるのがデフォルトらしい。

わたし自身は取り巻きになったこともなければ、
自己愛的な加害者とのあいだに共通の人脈は一切なかったため、
その類の経験はない。
(ただ、今回の身バレの件で取り巻きになり実際に攻撃までする人は、
本質的には同類だと再認識している)

経験者は皆、それは自己愛に騙されて洗脳されての行動だというが、
客観的には全く違うように見える。

本当に真から洗脳されているのなら、自己愛側であることで優越欲求が満たされている。
選民意識を持っているはずである。
そこから離れることは「脱落者」であり、選ばれなかった「下」の存在である。

そんな「脱落者」相手に憎しみに満ちた攻撃をすることは矛盾しているだろう。
まして、その攻撃が続くことはありえない。

自分たちの優越欲求が満たされる、大きな損をしている、バカな相手をなぜ攻撃し続けなければいけないのか?

せいぜい陰でバカにして嘲笑するぐらいではないのか?

客観的にみれば、取り巻きたちも心底「洗脳」などされてはいないのだ
自己愛に心酔して信じ込んでいるから、加担するのではない。
自らの抑圧された攻撃欲求の捌け口に都合がいいから、信じるにすぎない。

どちらも抑圧の問題である。
抑圧されたものがあるから、不健全な出方をするだけで優越欲求や承認欲求そのものは何も悪くない。

そもそも取り込まれたのも優越欲求、承認欲が満たされたから。
取り巻きたちも自己愛を優越欲求のために「利用」しているにすぎないのではないか。
他者を道具としてしか見ていなければ、やはり同じ扱いをされるのだ。

優越欲求は他人軸なので、もろい。
それを揺るがす存在が許せないだけな気がする。
意識しているか、無意識かまではわからないが。

第三者からは「抜け出すなんて許せない」という思考にしかみえない。

やはり誰もが自分自身を真に騙すなんてことはできないのだと感じる
もちろん、自己愛的な加害者自身も同様である。

追記 共依存のケースはこれはより深いエネルギー領域の問題であり、
明確に言語化できるほど、本人の顕在意識にまでは上がってこれない気がしている。

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