自己愛被害 レジリエンスアプローチ Ⅲ 補足
*自覚のない取巻きの方が悪質さでは優っている。
*直観力が高くても、異常性に気がつけないケースもある。
わたしは大学時代から知識や概念としては知っていたが、やはりあまりにも未知のことは経験するまではわからないのだ。
どうしても既知にあてはめて、わかった「つもり」になっていただけだったりするからである。
数年前人生ではじめて自己愛被害に遭ったとき、その相手には間違いなく自覚があった。
今でも確信している。
はじめて明確に相手に指摘した時(メールである)、どれほど逆上するのか?
わたしはものすごく緊張し、身構えていた。
正確な個人情報が握られていたら、とてもできなかっただろう。
だが、以外にもあっさりとスルーされたのである。
ほんとうに何事もなく、その箇所にはまったく触れられなかった。
もし自覚がなければ、知識があっても、なくても(当然検索するだろうから)人格障害と伝えてきたことを、スルーすることは絶対にありえない。
自分に置き換えても、突然そんなことをいわれて平気なひとがいるはずがない。
更に「あなたのほうこそ、自己愛だ!」というおきまりのセリフも言われたことはない。
差別するとは言われたが。
もっとも公にした際には、精神科医でもない人間がとか、サイコパスだとはいわれたが、それは指摘から数年後のことである。
しかもわたし個人にでもなく、不特定多数に向かっての発言である。
今回の身バレの相手は上記の側近であったが、後にトラブルとなりきっぱりと拒否ったことでターゲットに転じた人物である。
長期にわたり、わたしの私信(創作物)を共有(盗読み)していたのだが、
自己愛性人格障害という概念はターゲットに転じ、深刻な被害に遭った際に
ネットで調べてわかったのだという。
それが本当なら、私信には数えきれないほどその病名を繰り返して書いていたのだが、共有する際にはその部分はすべて削除していたということになる。
側近にすら絶対に知られたくない、ひどいと被害者にすらならないのは本当に明確な自覚があったからだと確信している。
そもそも自覚があるから、的確な保身が可能なのだ。
目撃したケースでも、コンプラ部門からの連絡を受けて、即座に根回しと犯人捜しを開始していた。
わたしはむしろ、取巻きの方が病んでいるとすら、感じている。
最初のケースでは、知り合ったころの相手は非常に運気が良く、数多くの人々や称賛、お金を引き寄せていた。
「徳分という名のヴェール」という記事で書いた状態であったのだ。
当然わりと機嫌のいい状態であり、本性がわかりにくかった。
何より、自分の自由意志で関わり、「本人に送ったもの」を悪用されたのだから、自分に人を見る目がなかったのだと、まだあきらめがつく。
そして命の危険さえ感じる執着だったが、当時のわたしが利用価値が高かったからだ。
さらに信用(身勝手な理想化)していたため、裏切られたと憎さ100倍になったのだと、異常者ではあってもいちおう理屈はわかる。
もちろん、許せるわけがないし、心底正当な報いと天罰を願っているし、
絶対に、絶対に、必ずもたされると確信している。
だが、取巻きは違う。
身バレの相手は、ほんとうにわたしとは無関係で、名前も連絡先もアドレスも知らない一ミリも興味関心がない、別世界の存在だった。
最初から最後まで、一貫して「部外者」でありながら、加害に加担してきてしかも、本人のなかだけではキーパーソン、指導者になっているのである。
その異次元の異常さに自覚がない。
自己愛が「自分サイド」の人間に共有したのに対して、その人物はターゲットサイド(に過去にいた)人間をストーカー行為によって突き止め、
勝手に接触して盗み読みをしたものを更に横流しをする。
異常さが際立っているのに、「良かれとおもって」なのだ。
完全に妄想世界を生きており、独り相撲をしている状態なのだが、その妄想世界を現実として、他者に共有させようとするのが厄介なのだ。
騙されて同情しているだけなら、ただのお人よしかもしれないけれど、加害に加担してきた時点で同類もしくはそれ以上の悪質な存在である。
そのうえ自分は基本的には「善人」「指導者」であると、まったく疑わないのであれば、より重度な自己愛であり、より悪質であり、さらに見抜くことが非常に困難になる。
自覚がないということは、ふだんは基本的にそういう「まともなエネルギー」を発しているからだ。
自己愛特有の磁場の狂ったような異常なエネルギーになるのは、自分に都合よく相手が動かない、さらに明確に拒否されてからである。
なぜ、根はまともなひとだと思って誠実に対応しようとしてしまったのだろうか?
じぶんの愚かさ、まぬけっぷりが信じられなかったが、本人が心底そう信じ込んでいれば、周囲にもそう伝わるのである。
例えば、万引きなどするつもりは全くなく、話に夢中になって手に商品をもったままお店を出てしまっても気がつかれなかったり、
バスの定期が切れていても気がついていなければ、そのまま誰にも気が付かれないまま降りてしまえたりするのと同じではないだろうか?
本当に自覚がないケースでは、どんなに直観力や洞察力に優れていても
普段日常のエネルギーや言動では読めなかったりする。
エネルギーに触れることで、直観的に気が付けることはたくさんある。
だが、ほんとうに自覚がないケースは例外なのである。