自己愛被害 レジリエンスアプローチ Ⅲ
*取り巻き、フライングモンキーという存在を考察する
*自己愛被害、その被害構造におけるキー概念とは?
「負の連鎖を引き継ぐか否か、その分水嶺Ⅰ」の洞察とかなり重なる。
自己愛的な加害者たちに取り込まれたひとたちには、様々なタイプがいる。
普段接することのない、強い異常なエネルギーに引っ張られ混乱してしまい一時的に取り込まれてしまっただけ、の人から
その本人も自己愛的な加害者気質であった人、
さらには主犯よりも悪質であるケース、すらある。
悪質というのは、本当に自覚がなく、自分は基本的に気のいい善人であり、不本意に騙され悪影響を受けただけの被害者であると、
心底思い込んでいるタイプである。
わたしが今回の身バレで被害を受けたのは、まさにこのタイプである。
まず、たしかに相手の虚言に騙されたというのは事実、真実である。
その強烈で異常なエネルギーに影響を受けたことも、そのとおりである。
だが、本人の自由意志で納得して、加害に加担したことは、
客観的には間違いなく加害者であるといえる。
何度も明確に拒絶する他者の自由意志を無視し続けて、自分宛でないものを長期にわたり自己愛と共有(盗み読み)して、更に勝手にストーキングによって突き止めた人にまで横流しを続けながら、キーパーソンや指導者きどりで上から批評し続けたのは、客観的な事実である。
あほらしくて、スルーしていだが
これは決して、本人がいうような気のいい、モラルのある善人がおこなえることではない。
だが、この客観的な事実が絶対に認識できない。
あくまでも自分は一貫して、被害者である。
自分に都合のいい、美化された妄想世界を現実として、他者にも
共有させようとする。
本人は巻き込まれただけの被害者だと認識していても、事実は「共犯者」である。
エネルギー的には進退をともにする、運命共同体の状態になっていたりする。
共犯者たちは、自己愛的な加害者たちから離れた後も、いつまでも影響を引きずりまったく同じ表現(言動、行動)を無意識にしてしまいがちである。
その理由は負の連鎖を引き継ぐか否か、その分水嶺Ⅰの有料部分で書いたとおりである。
正確には、共犯者たちのそれは自己愛的な加害者たちの影響ではなく、実はすでに最初から存在していたのであるが。
引き継いでいたともいえる。
上記のように側近や共犯者にまでなってしまうのは、例外なく抑圧が強く、集合意識の声と一体化しているからである。
だが、今回自分が身バレで経験したケースだけではなく、勤務先で目撃したケースでも、本人たちはこれまでは人と揉め事もなく、それなりにうまくやってきた、自分は基本的には善人だと本気で思い込んでいる。
そして、わたしはそのことがまったくの「嘘」だとはおもわない。
目撃したケースでは、長年その組織で活躍していて、周囲から本当に慕われていた。
おそらく過去を調べても、いじめやハラスメントの加害者だったことはないだろう。
強い抑圧に加えて、彼らに大きく影響を及ぼしているのは、歪んだ承認欲求、優越欲求だと確信している。
なぜ、自己愛的な加害者たちに騙されたのか?
おもわず共振、共鳴してしまったのか?
違和感を無視したのか?(まったく感じないはずはない)
優越欲求を特別に満たしてくれる相手だったからではないのか?
「自分だけに特別に共有してくれる」その優越感から、ひととしての常識やモラルは吹っ飛んだのではないのか?
(更にターゲットは優越欲求を損ない、嫉妬を感じ「させる」相手である)
平和主義のお人よしだったからではなく、優越欲求を満たしてくれたから、情が生じて、その情により正常な判断ができずに、関係がなかなか絶ち切れなかったというのが真実ではないのか?
一般的に、その組織で大きな権力をもつ人、有名な人、お金持ちに認められることで承認欲求が満たされるから、情が湧き、見る目が甘くなってしまうのではないかと推測している。
もし、自己愛的な加害者たちが、最初から少しも承認欲求が満たされない相手であったのなら、まったくの赤の他人が取り込まれる可能性は低いと感じるのだ。
有形無形のメリットのなかでも、承認欲求、優越欲求が満たされることは
トップクラスに位置するのではないのか?
自己愛被害、その被害構造の解明には集合意識と集合無意識、承認欲求、
特に優越欲求がキー概念となると確信している。