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自己愛被害 レジリエンスアプローチ Ⅵ

*自己愛的な加害者たちの時系列の無視も、深刻な他人軸のあらわれの一つ

*過去の軽視も、エネルギー状態の反映である。

*エネルギーの質や次元を決定するのは「肌理」である。

*自己愛的な加害者たちや抑圧の強いひとのエネルギーには肌理がない傾向がある。
(「粗い」のではなく、無い。それは特有の「圧」として認識される)

*なぜ一度でも被害経験や目撃経験があれば、見分けやすくなるのか?

上記を潜在意識とエネルギー次元から洞察することで、理により憑依を落とすことにより、レジリエンスを早める。

自己愛的な加害者たちが、客観的には加害者でありながら、被害者ポジションをとることは有名な話である。
彼らはいついかなる時も、徹底した他責思考なのだ。

自分が勝手に相手に嫉妬しているだけなのに、自分は嫉妬を「感じさせられて苦しめられている」という類のものは、まだ異常な被害者意識がわかりやすいため、皆がみんな騙されるわけではない。

わかりにくいのは虚言のなかに真実を混ぜ込むというか、意図的に都合よく一部を切り取ること、

特にもっとも厄介なのが時系列の操作である。

かれらは事象の時系列を無視して、自分に都合よく組み立てることで本当の加害者と被害者を入れ替えるのだ。

時系列において、現状を引き起こした要因を逆転させるのである。

事象の発端である自らの相手への理不尽な他害行為、異常な干渉、執着はすっと飛ばして(極度に矮小化して)、それを受けての相手の反応(拒絶や正当防衛)から彼らのストーリーは始まるのである。

理不尽に相手からひどいことを言われた、無視された、絶縁されたと

自分は相手から見下され、差別されているから(原因)、そんなつもりはなかったのに、良かれと思っての言動を誤解されてひどく攻撃された、
拒絶され絶縁された被害者だと主張するのである。

このように時間軸を逆転させ、彼らに都合よく因果を真逆に組み替えたストーリーを周囲に吹聴して巻き込んでいく。

事実としての因果は真逆だが、一応、流れとしては整合性のあるストーリーなのがやっかいなのである。

言うまでもなく、客観的な事実としては

まず彼ら自身が一方的に、相手に法やモラルに反する他害行為を、それも繰り返し行っていることが、時系列的に一番最初に起こっていることである。
そこがすべての起点である。
(つまり、まず最初に彼らが相手を軽んじ、下にみているからこそ一連の事象は始まっているのだが、それを逆転させるのだ。)

自己愛的な加害者たちは、強烈な優越欲求により、絶対に自分の非が認められない


そのための責任のすりかえである他責は上記のように、自分のその法やモラルに反する言動を矮小化して、時系列を入れ替えるだけではない。

同時に自分の言動の責任を、それを受ける

相手の認識や解釈、ひととしての器の問題にすり替えることもデフォルトである。


自分が見下されているだけではなく、相手が苦労知らずだから視野が狭く、ひととしての器が小さい。
相手の認識や解釈のレベルが低いから受け入れられないのだと解釈するのである。

別記事で書いたように、なぜか彼らには苦労している方が絶対的にひととしてレベルが高い優位者だという、揺るがない誤認識が存在している。
こうして生み出された彼らの妄想ストーリーのなかでは、じぶんは優位者なのだから、相手に指導する権利があるということになるらしいのである。。

つまり

被害者かつ優位者であり、相手を「許す」「導く」立場なのだから、相手に謝罪したり反省することはあり得ない。


自分が受け入れられないのは、すべて差別主義で低レベルな相手の問題なのだから、成長 笑して自分の主張を受け入れることが彼らの考える「解決」なのである。

さらに相手の器の問題、理不尽なことに耐える力がないのは、そのような大切な経験がないからであり、現代社会の教育の在り方や、時代性の問題でもあるとまで論理は飛躍する。

すべてのひとは対等な尊厳を有していて、
他者の尊厳と自由意志を踏みにじる、理不尽な干渉、要求、他害行為は「誰が行っても」受け入れられない行為であり、

それを拒絶することは「すべてのひとにとって」正当防衛である。

こんなシンプルであたりまえのことが、異常な優越欲求と認知の歪みにより決して認められないために、ここまでわけのわからない状態になってしまうのだ。
周囲を「混乱」させることで問題をうやむやにする意図もあるとはおもうが。。

毒親問題では、ある意味生まれながらに相手は「優位者」に立っているのだから、より問題は複雑で深刻だろうなと感じる。
実際に育てている客観的な事実があるのだから、こんなに頑張ってきたのに。。そんなこと言われるなんて、と被害者ポジションもたやすくとれる。
それに加えて肉親としての情も絡んでくるのだから。

だが、一般的にはなんとかして加害者である他人と関わり続けたい、と加害者に執着する被害者などいったいどこにいるというのだろうか?

自己愛的な加害者たちが、客観的にはもうすでにどうしようもなく決裂した関係に執着し続け、やり直せると本気で信じ込んでいるかと言えば

かれらの時系列の無視は、

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