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自己愛被害 レジリエンスアプローチ Ⅳ

*集合意識と身体感覚の共鳴
*我慢と努力の混同だけではない、深層心理における誤認識
*真の徳とは?

身体へのアプローチの重要性を更に掘り下げて考察するまえに、
取巻きやフライングモンキーたちについて、潜在意識とエネルギー次元からの洞察を補足したいとおもう。

取巻きやフライングモンキーは基本的に自己愛的な加害者たちと同類であるが、自覚のない自称善人が一番悪質である

まず、自己愛的な加害者とその毒同士が感応し合う関係が続けられる時点で、いわゆる真の善人ではない。
まして加害に加担していて、なぜそう認識出来るのだろうか?
ほんとうに心底恐怖を感じる。
自分の存在、そのあまりにも異常な言動が、ターゲットにどれほどの恐怖とダメージを与えているのか、想像すらできないだろう。
むしろ自分こそが被害者だと認識しているはずである。

彼らは集合意識の声に一体化しているため迷いなく、どこまでも軌道修正できずに自己正当化していく。
自分には、相手を指導できる正当性、普遍性があると信じて疑わないからだ。

上記で取巻きになるひとたちは基本的に同類だと書いたが、ただ例外は普通よりも知的に少し。。というひとのケースである。
この場合は自他の境界や自我意識が弱いために、強烈で異常なエネルギーに同期、同化してしまった部分が大きい。

自己愛的な加害者たちの強烈な被害者意識、その感情に共鳴、共振してしまったケースである。
「可哀そうになって」加担してしまった場合は、気が付けば改心も早かったりする 笑
そういう人たちは、心底反省できるからだ。
以前その道の方に伺った話だが、神仏は親である。心の底から謝る我が子を許さぬ親などいないという。
気が付いてすぐに引き返し、繰り返さなければそこまで深刻なカルマにはならないだろう。

その奥底の純粋さによって騙されて手先として使われても、同時にその純粋さに慈悲がもたらされて救われたりする。
もっとも犯罪にまで手を染めてしまえば、それはもう無理だろうが。

わたしは理不尽な苦労や自己犠牲を美化する、抑圧の強い自称善人に
魂の奥底から拒絶反応が起こる。

以下は8/16日に公開した「負の連鎖を受け継ぐか否か、その分水嶺 Ⅱ」の一部抜粋である。

「自分の理不尽な苦労経験を正しく認識できずに、感情ごと抑圧することでどうやら「理不尽に苦労した方が偉い、立派」「人としての立場が上」という無意識の強い価値観が形成されるようなのだ。
恵まれていて苦労が少ない(と勝手に判断した)相手を無条件で「未熟」「世間知らず」「視野が狭い」「人として下」とカテゴライズする。
上が指導する存在であり、下は当然その指導を受け入れるべきである

人間性や生き方に、相手が求めているものを一切有していないにも関わらず、「上」として影響を与えようとする。」

理不尽な苦労により、性格がねじ曲がり、底意地が悪くなり、他者に加害するようになるならその苦労は無意味どころか、害悪でしかないだろう。
性格が捻じまがれば、まっすぐにものが認識、解釈できないのだから、必然的に頭も悪くなる。」

わたしは抑圧の強い彼らの放つエネルギーに集合意識の負の側面、重く、低い、仄暗い次元に引きずり込まれるような感覚を覚える。

次元が低いというと語弊があるが上下優劣ではなくて、単純に

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