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自己愛被害 レジリエンスアプローチ Ⅶ

「逃げ道」を残すこと、その難しさ

自然にFOできるならほんとうにそれに越したことはないのである。
自己愛的な加害者たちを相手に逃げる行為は、決して負けることではなく、撤退は立派な戦術である。
撤退戦は難しい。
基本的にはタイミングがすべてであるが、その見極めこそが力量といっていい。

そして、リアルでのしがらみがなくても、
なんらかの逃げ道を残さなくてはいけないからである。

わたしは相手のリアル、その人脈には一切接触していない。

実名を出さないことはもちろん、リアルでの活動内容においてレビューなども一切していない。

窮鼠猫を噛む、といういにしえの諺があるように、

想定外の事態をまねかないこと、そして何よりも
今後のトラブルの芽を摘むためである。
予防の意味が大きい。

わたしは数年前、元側近で後にターゲットに転じた相手に「逃げ道」を残した。

関わりたくない気持ちが大きかったのもあるが、基本的には自然な良心からである。。
だが結果として平然と恩を仇で返されるひどい仕打ちにあった。
何度も書いているが、このnoteで身バレして何度IDやクリエイター名をかえても執拗に粘着され、踏み荒らされたのである。

つまり、時間とフィールドと相手を変えて、こちらの情報を「共有」され、自分に都合よく動かそうとして執着される、という同じような自己愛被害が繰り返されたのだ。
「逃げ道」が逃げ道としてまったく機能しなかった結果となったのである。

当時の判断は明確に間違っていたと、これ以上ないほどわかりやすい形で突き付けられたのだ。

自然法則に反していたとも、言い換えられる。
なぜ?一体なにがいけなかったのだろうか?
本当に受け入れられなかったが、半年以上時間が経ってようやくぼんやりとわかりかけてきた。

逃げ道とは、その前提として双方の理解、納得があってこそ逃げ道として機能するのだ。

双方に最低限のひととしての信用・信頼があり、そして対等でなければいけない。
どちらかが優位者であることに執着していたり、理想化が起こっている状態ではとても無理なのだ。

逃げ道とはある種の平和的な「解決」であり、そこで「終了」なのだ。

もう過ぎたことは触れない、責めないのは、すべて終わったことで二度と関わらないからである。

わたしのなかではとっくに「終了」していたのだから、
当然相手のことを「被害経験」として書くつもりは一切なかった。
事実、接触時には被害構造の考察シリーズから、回復シリーズに記事は進んでいたが、有料部分にも一行も書いていないし、実害を受けたのは一人だけだと明記もしている。

感性や認識次元がかけ離れていると、暗黙の了解というものが通用しない。

そして、タイミングも悪かったとおもう。
共通の人脈がまったくないわたしとは対照的に
相手は共通の人脈が多く、リアルでの実害の最中だった。

当時、とてもエネルギーが引き際に向かうような状態ではなかったのである。

エネルギーのベクトルが引き際に向かい「流れ出して」いないのだから、働きかけはすべてが無意味なのだ。
他者がエネルギーを「動かす」ことなどできない。出来るのは既に流れている流れに協力、加担することだけ

である。

相手が変わろうとしていない時、変わろうとする意志がないとき、逃げ道は逃げ道として作用しない。

それ以前に優位者であることが絶対に譲れない、「自分なり」の判断で行動したい、相手を都合よく動かしたいという状態で、
「流れを変えたらいいのでは?」「早く引いた方がいい」という意見を受け入れられるわけもないのだ。

他者に助けを求めること、協力をもとめること自体は何も悪くない。
その言動そのものが問題ではなく、これまでの関係性や立場ではありえない相手に求めることが異常だ、と言っているだけである。
時間やエネルギーの搾取というのは、相手の自由意志ではないから搾取になるだけで、相手が自然に協力しようとするなら何の問題もなく
むしろ徳積みであり、win-winの関係なのだから。

だが、彼らは基本的に相手から時間やエネルギーを貰うことだけが前提で、自分が相手に与えることは考えもしないのである。

逃げ道を残してはいけないときに、残すことは善でない。
優しさではないし、利他でもない。

そもそもこんな高度な戦術はわたしにはとても無理だったし、それ以前に自己愛的な性質が強い相手には通用しないのだ。

とにかく、

現実的には関わらない、これしか出来ることはない

のである。

エネルギー領域からのアプローチにより、現実次元を変化させる。
事象をエネルギーの流れとして認識し、視点を変換させる。
遠回りなようで、一番リスクが少なく、安全性が高いアプローチだと実感している。

現実は変わらないように見えても、その裏のエネルギーは静止していない、常に動き、流れ、循環しているのだから。


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