負の連鎖を断ち切るか否か、その分水嶺 Ⅵ
*自己愛的な加害者たちの「対価」と「変化」を拒絶する心理とは?
*都合のいい自己認識とターゲットへの理想化を、潜在意識とエネルギー的視点から洞察する
*共依存時の双方のエネルギー状態とは?
繰り返しになるが、彼らが異常に優位性にこだわるのは、「上」でありさえすれば、無条件に有形無形の愛やメリットが「下」からもたらされると無意識で強く誤認識しているからである。
ただ、この認識は全人類が積み重ねてきた集合意識、および集合無意識の声ともある意味一致しているため、多かれ少なれ誰もが無意識に抱いている認識ではある。(正確には敬うべき、従うべきという概念だが。)
気持ちはわかるけど・・・と一応理解はできるのだ。
教育も同様で、親や目上や専門家などのいうことは基本的に正しいことが多いのだから、聞いた方が自分のためとされてきている。
だが誰もが皆、生きていくなかで必ずしもその基本や原則は当てはまらないことを繰り返し経験していく。
その結果として、相手を上下優劣ではなく「一人の人間」として俯瞰的に見るようになる。
ポジションや業績など優れたことは、優れたことときちんと認めつつも、
同時に切り離して人間性なども複合的に見て判断する。
社会組織においても、上長や先輩の指導には従うことは常識であるが
ただこれらは、あくまでもそのフィールドにおける役割上の話にすぎない。
自己愛的な傾向が強いと、自他、フィールド、時間の流れなど、
あらゆる境界線が弱いために、拡大解釈する傾向がある。
上位者には敬意を持ち、従うという概念も「心から」の愛や友情だと拡大解釈する。
一つのフィールドでの上下優劣の関係は、他のあらゆるフィールドやシーンでもそのまま適用されると無意識に強く思い込んでいる。
(極端になると、自分が正しい=上なのだから、赤の他人でも自分の主張を受け入れるべきだと押し付ける人までいる。)
また、ある時点での自分が優位に立っていた都合のいい関係が、
そのままずっと続いていくことを疑わない。
信頼関係が決定的に破綻する行為を「自分が」相手にすることで、
完全にその関係を修復不可能にまで壊しておきながらでも、である。
なぜか、必ず元に戻れると信じ込んでいるのだ。
基本的には理性的で知力が高くても、なぜか疑問をもたない。
ある組織で高いポジションについている人が、その組織外でも同様の対応をされないときに思わず気分を害したりすることは、よくあることだという。
ただ普通の人は、たとえ感情的に不快感が湧き上がってきても、
仕方のないことだと現実的、理性的に判断して、自分のなかで折り合いがつけられる。
客観的に状況が把握できるし、そんなことで自己肯定感が揺らいだりしないのだ。
自分の優位性を保つために、不機嫌になったり、威圧的な言動などによって他者を操作、コントロールしようとはしない。
人間の優位性への執着は実は劣等感の裏返しだという説は有名なため、
ここでは割愛する。
わたしは違う側面からこの記事を書きたいとおもう。
一番の問題は、彼らは他人軸でありながら、基本的には他人を信用していないことだとおもうのだ。
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