「他人を否定しなくて良くなる方法」について、考えてみました。

「どうしたら、他人を否定しなくてよくなるかな?」
と考えてみたのですけど

結論
自分を理解することができれば解決しそうです

自分を理解しようとしてくと、理解した自分って人に否定されたくないじゃないですか?
すると、人のことも否定できなくなるのです

ただ「嫌い」があるだけで

「嫌い」は存在否定ではなくて、「私は選ばない(しない)」ことなんですよ

存在否定というのは
「●ね」
とかは勿論
「~はおかしい」
とか
「~はダメ」
とか…
「自分の感想を用いて人や物事そのものを否定すること」
なんですよ

「普通は~」
というのもそうです
自分の感想に大多数を巻き込むこと

知恵袋とかみると
よく「説教」して「自分が正しい」みたいに言っている人が居ますが
その言い方では、それも存在否定になってしまうと思います

それに、大多数を巻き込む意見って、大体「自分の本心では無い」パターンが多いのですよ

或いは、知識が無い故に「人の顔色伺って、間違っていないか確認したい」みたいなパターンです

どちらにしても、「本人自身が納得した意見ではない」ので

自分は大多数の人間だと思い安心したいか?
納得する努力を放棄して楽したいか?
自分が正しいと知らしめて支配したいか?
純粋にそれしか知らないか?

のどれかではないかな?と思います

とはいえ、別にそれ自体が悪い訳ではないと思います

ただ、問題なのは

「知っていることが自分には合わないこと」

「視野が狭くて、他の可能性に目を向けられないこと」
また
「納得できる形に考えることができていないこと」

なのではないでしょうか?

だから、「人を否定することで、自分の正しさを証明する必要が出てくる」のかもしれません

なので、自分を理解することが大切なのだと考えます

これから、インターネットはもっと発展していきます

その分、色んな視点からの情報が飛び交い、「全て正しい」くて「全て間違え」と言っている様な時代が来て、一人一人がもっと極端になるのかなと思います

それは、「自分の得たいものを選べる自由」もありますが、「自分が選ばなかったものを否定する」なんてことももっと出てくるのかなと考えてしまいます

そして、それはもしかすると「こっちの方がいいかも」という可能性を狭めることにもなるかもしれません

また、情報に翻弄されて「自分自身を見失う」ことにもなり兼ねないと思います

そんな、自由であって自由でない様なことが一般化されてしまうのかなと、考え過ぎてしまいます

そんな時
情報から自分を守る選択力

自分軸で行動する為の納得力(納得する為の努力)
が大切になるのかもしれませんね

それが、人を否定する必要が無くなる鍵になるのかなと思います


読んでくださった方ありがとうございましたm(_ _)m

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