「許されたい」と思う人へ
私は「許されたい」と思うことは、消して弱さではないと思います。
それは、『社交的な本能』です。
ただ、確かに人の気持ちは変えられるものでは無いので、許してもらえるかどうかを他人に委ねるのは難しいかもしれません。
けれど、その気持ちを否定する必要はないと思います。
人は弱い生き物です。
故に、一人では生きていけません。
「一人で生きていける」という人も、気づかないところで必ず誰かに助けられています。
だから、「自分は弱い」とわかっているからこそ、「独りになるのが怖い」ものだと思うのです。
なので、「許されたい」とか「正しくありたい」と思うのは、至って自然なことだと思うのです。
ただ、大事になってくるのは、この「許されたい」「正しくありたい」という社交的な気持ちの使い方かもしれません。
人に許しや正しさを委ねれば、委ねられた相手は大変になってしまいます。
「ホッとする気の利いた言葉」をかけられたらいいのかな?と思いますが、きっとかける側も「許されたい」とか「正しくありたい」とか…自分が思う自分自身の『社会的な課題』に日々向き合っていますからね。
もしかすると、これが『生きる』ということなのかもしれません。
なので、ずっといつでも、人に「気の利いた言葉」をかけるのは難しいと思います。
それは、本来仕方のないことですが、「優しくありたい」「真っ当でありたい」という気持ちもあり「気の利いた言葉をかけな”ければならない”」と葛藤します。
そして、結果「強く引き離す言葉」を返してしまい、そんな自分に落ち込んでしまうなんてこともあるのではないかなと思います。
そう、みんな一生懸命なのだと思います。
だから、痛い言葉をかける人も、痛い言葉をかけてしまった自分自身のことも、責めなくていいのです。
ただ、この「許されたい」「正しくありたい」といった『社会的な課題』は、自分自身でしか『癒す』ことができません。
他人はその間に「励ましてくれたり」「応援してくれたり」「見守ってくれたり」「大丈夫な時は直接手を貸してくれたり」してくれます。
大丈夫です。人は大自然は世界は『優しい』です。
なので、ご自愛ください。
私もあなたも愛されています。
ということを実感したお話でした。
読んでくださった方ありがとうございましたm(_ _)m