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満員電車に乗ること
私は、とにかく朝が苦手。
何が苦手かというと、出勤のための満員電車。
3分に1本、満員の電車がホームにやってくる。
私はそこに無理やり詰め込まれる。
周りの人たちには、やさしさや余裕なんで1ミリも存在しない。
だから、足を踏もうが、髪の毛が当たっていようが、
私の荷物がつぶれていようが、誰も気にしない。
何回もランチの楽しみにしているパンがぺしゃんこになったことがある。
今朝なんて、電車が5分遅れてしまったがために大問題。
まず、1本目の電車には乗れずホームで見送り
2本目の電車にはかろうじて乗れたが、
元々乗っていた人からも、後ろから乗りたい人からも
ぎゅーぎゅーに押し込まれ、
これ以上細くなれないくらい前後左右から押しつぶされた。
少しでも遠慮を見せたらそこで終わり。
次々と人に付け込まれる。
そんな世界で毎日頑張るのはもう疲れた。
そんな中、1冊の本に出会った。
そこには以下のように書かれていた。
そもそも朝無理して起きて、満員電車に乗って会社に行くということ自体が間違っています。本来、人間はそういったことに大丈夫なように作られていません。
他人が自分に近づくことを許せる限界の範囲、つまり心理的な縄張りのことをパーソナルスペースといいます。
アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールの分類によると人間のパーソナルスペースは「3.5メートル以上の公衆距離」「1.2~3.5メートルの社会距離」「45センチ~1.2メートルの個体距離」「0~45センチの密接距離」の4つのレベルに分かれます。
レベル4の密接距離はキスやハグができる距離です。この距離に入ることが許されるのは家族や恋人のような親密な人間だけで、そうでない人間がこの距離に入ってくるとはっきり不快を感じます。
ほら、無理なんてしなくていいんじゃない。
私が満員電車が無理で、つらいと感じていたのは
至極全うなことだった。
さらに、こんなことが書いてあった。
人間という生き物は手が届く範囲に他人が入ってくれば不快を感じるようにできているのです。満員電車に詰め込まれるなど、本当なら殺し合いになってもおかしくない虐待です。
そんな蛮行が堂々とまかり通っているのは「毎日朝早く起きて、電車に乗って会社に行く」ことが正しいと、教育によって洗脳されているからです。
今の教育は、人間を「早朝の満員電車に乗って働きに行ける」ように作り変えます。人を何かの役に立つ奴隷、機械に作り変えるのが教育なのです。そうやって資本主義を機能させ、維持するのに役立つ人間を作るのが近代教育の本質です。
本能的には逃げたくなるような状態でも、本能を麻痺させて、「毎日時間通りに出社することが偉いんだ」とか「苦しくても頑張ればいつか報われる」とか、そういったことに価値があると刷り込むのが教育の役割になっています。
「満員電車に乗って働きに行けること」が普通はみんなできていて
私だけできないと思っていたが、
そもそもそれが教育によって洗脳された考えで
別に満員電車に乗れることが偉いわけじゃないと気付いた。
なんだ、私がおかしいわけじゃなかったのか。
なんだか少し安心した。
いずれは、満員電車に乗らなくていい、
自分の嫌だと感じることはやらなくていいような
心にも体にも、やさしいフルリモートでできる仕事を勝ち取りたいと思う。
それぐらい夢みたっていいでしょ。
私には会社員は向いていないのだから。