子供の脳出血 息子の闘病記 ~ガンマナイフ1~ 3
2004年7月から8月
息子は交通事故にあったけれど、このころになると鎖骨骨折もだいぶ良くなっていた。
学校には、病気のことを話して、とりあえず脳出血を起こしたらどう対応するかということで、
お互いに確認をとりました。何もなければ何もしなくていいというのも、学校も私たち親も困ったものなのですが、いつ脳出血するのかという不安を抱えて、普通に明日が来ることを疑うこともなく
過ごしてきたのですから、毎日ががらりと変わることになりました。
まず息子の脳動静脈奇形は脳梁から脳室内にわたり大脳の左右をまたいで4~5cmの大きさで、
すでに静脈の大きさは、脳腫瘍を思わせるほどの太さになっていました。
これが出血したら、まず助からないといわれ、あるいは植物状態になるだろうといわれました。
主人も私も、目の前が真っ暗になったのはいうまでもありません。
でも、とにかく一刻も早く治療して普通の生活をしよう。
毎日病院とその病気について調べました。
このころは必死だったので、寝る間を惜しんでインターネットで調べました。
脳動静脈奇形に関する内容、治療方法、実績、担当医についてはその先生の活躍について
ヒットするものはできる限り目を通しました。
病院のHPには治療実績などが掲載されています。
脳外科でも、脳腫瘍を得意とするところ、脳梗塞などをとくいとするところ、脳血管障害を得意とするところ、そしてこの当時はまだ新しいといわれたガンマナイフについても、得意とする病院がいくつかありました。
たとえば、脳腫瘍や脳梗塞については、多くの脳神経外科で対応できますが、脳血管障害についてはその症例数も少ない上に、手術数などはかなり数字に違いがあります。
脳動静脈奇形の手術においては、本当に少なかったのです。
でも、ガンマナイフに限って言えば、その昔はスゥエーデンに行って受けた人もいたり、フランスで治療した人もいて、とにかく大変な治療だったのですが、この当時は国内に50数台設置されていたので、
本格的に一つの治療方法として確立期にあったと思います。
ただ脳外科のドクターには見解の分かれるところだったような気がします。
やはり、手術が可能な場所ならば手術によって全摘する。塞栓術で小さくしてから、手術をする。
基本はこうした手術による摘出が筆頭だったと思います。
しかしガンマナイフや、サイバーナイフの設備を持つ病院は選択肢が多かったのです。
基本的な治療のほかにガンマナイフのみの治療、塞栓術とガンマナイフの組み合わせなど解説がありました。
しかし、ガンマナイフによる副作用は脳浮腫の発生、また、すぐに治るわけではなく病巣の消滅まで3年かかるということ、その間に出血のリスクは変わらない、あるいは増える可能性など不安材料はかなりありました。
いくつかの病院を回って、先生と話をしてだいたい自分が調べたことと同じような話を聞き、
とにかく主人も私も確信が持てないまま、暗澹たる気持ちで病院を後にしました。
そして、最後の頼みになった病院で、今の主治医に出会ったわけです。
すでに有名だった先生で、それでもすぐに時間を割いてくださり、私と主人を見つめて
「もしも、ご両親が私を信頼してくださるならば、その信頼を受けて必ず私が息子さんを治します。」
そうきっぱりと言ってくださった。
私は、涙がでて止まらなかったし、主人も気持ちが決まったと言いました。
2か月かけて、病院を回り自分たちが納得できる治療と信頼できるドクターに出会えたことは
非常に恵まれた環境だった思います。出血して選択の余地がない場合、どうするのか・・そういう疑問が残りますが、できる限り自分たちが信頼できるか否かを確かめるほうがいいと思います。
なぜなら、医者にとっては命を救うということが絶対命題だと思うのですが、それでもあまりにも多くの患者を診ている。しかも、脳に関する病気というのは同じものがない。
特に血管異常は同じ形態のものは存在しないので、こういう時にはこういう治療という関係が成立しにくい分野だと思います。
T大学病院の先生は「脳外科の医者はね、手術は誰でもできるんだよ。ただ、まったく脳に損傷をつけずに、今までと同じように目ざめて、同じように生活できるように治すこと。そして何年か後にも後遺症が出ないこと。そうして初めて、手術が成功したっていえるんだよ。だから誰でもが同じように手術に成功できるわけじゃないんだよね」
そう話してくださいました。
信頼できるドクターに出会うこと。選択肢は自分たちにあるということ。これが私たち家族が得た
教訓です。