サムのこと 猿に会う / 西加奈子
死んだ友達サムのお葬式にいく20代男女5人。キム、ハス、モモ、スミ、そしてアリ。
キムは在日朝鮮人
ハスはキムの恋人で無口でナイーブな男
モモは恋人をころころ変える女の子
スミはレコード屋でアルバイトするイケメン
アリはゲイのいいやつ
サムの死をきっかけに、感傷的になった5人は、ついうっかり、みんなで自分語りをする。
スミ以外は仕事をしていなく、5人は互いに会いたいときに会えばいいし、頼りたいときに頼ればいいし、ぷらぷらと、自由に生きていることを暗黙によしとして、身軽で軽薄な友達関係のなかにあるようだった。わたしの査定によると、「行けたら行くわ」が通用する関係と思われる。
彼らの属性や生き方は、世間からなにか物申される対象であるはずなのだが、お互い頓着してないようだ。それは現代においてユートピアに近い。世の中は人に対する興味に溢れすぎている。じぶんに何かラベルを貼ってコンテンツとして発信することに慣れすぎているし、ひとのことをそのラベルでないと語るのが難しい。
どこ出身で、どこ大学で、どの会社に勤めていて、どんな仕事をしている。初対面の人間に自己紹介として披露はするが、これをコンテンツとして評価され、消費されるとき、どうしてもいつも耐えられない。これはわたしがコンテンツと本来の姿に大きなギャップがあるせいかもしれない。とても面倒でいつもこれから脱出したいと願うのだが、ほぼ無理だと諦め始めてもいる。
この男女5人には、そのユートピアが垣間見えるのかもしれない。彼らの無頓着による他人への寛容さは、心地良くて、美しく、羨ましく、没頭しながら読んでしまう。
そして、サムの死をきっかけに、ついにみんなで自分の属性、生き方について主体的に語り合う。自分が世間でどう思われるかを考えて、みんなに共有するのだ。それは叫びに近くて、行きづらい世の中を恨みたいような、でも立ち向かいたいような、同時に愛してもみたいような、折り合いのつかない複雑な気持ちになってくる。
終盤は、「友人の死」にも拘らず、日常が変わりなく進行するさまを、残酷なまでに切り取る描写がえげつなく、核心をつかされる。サムの人生はそこで終わって、僕たちはまだ続くだけ、とさえ言う。確かにそうなのかもしれない。現実に戻される瞬間は、上昇したジェットコースター急降下するときみたいな驚きとショックで心が一瞬固まる。
感情なんて、感傷なんてどうでもいい、とまでは思わないけど、ちょっと悲しくなる。むしろ、だからこそ、大切にしないといけないのかもしれない。世界はどうせ変わらないのに、どうして人は喜んだり、悲しんだり、笑ったり泣いたり、するのだろうか。電車に揺られながら、相変わらずダイヤ通りの運行だななどと思いながら、そんなことを考えた。
ほかにも、『猿に会う』『泣く女』の短編がある。『泣く女』は男子高校2人が太宰治ファンとして津軽旅行をする話で、個人的にアツイっす。
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サムのこと 猿に会う (小学館文庫) / 西 加奈子 #読書メーター
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