記憶の扉
20代のころに
会社のキャンペーンを
ふと思い出しました。
個人宅のある方から一本の電話があり
社員1件キャンペーンに参加をしないと
いけない状況になりました。
ライフラインは頭に浮かばず
もちろん知人や友人にも
そういうルートでの勧誘は
好きでなかったので、
飛び込み営業出なかったのが
救われました。
早速、その新規のお宅に訪問。
23区内でも下町エリアが管轄のため
住宅が犇めいていた。
直接訪問するなど
思いもしませんでした。
若いからなめられてしまう不安もあり
恐る恐るピンポンを鳴らした。
カメラ付きインターホンで
新築のお宅でした。
ご夫婦で向かい入れていただき
二階のリビングに向かいました。
もちろん、慣れていないが
とっさに「本日はお電話いただきまして、ありがとうございます。〇〇会社の所属で、今回社員一同一斉にキャンペーンのため、私がこちらに初めて参りました」と逆に労っていただいた記憶があります。
「きれいなお宅ですね。」
「まだ2年です。」
「お茶お飲みください」
「ありがとうございます。」
お茶を二口ほどいただき、
旦那様から名刺をいただき
なんと銀座の有名なビルの店舗名も
また数寄屋橋にもある
店舗の係長さんでした。
「よくSALEがあるときは行かせていただきました。」と申し上げると
喜んでいただきました。
本題は、チューナとかのスピーカーの配置の位置などをヒヤリングして、
だいたいの位置などの地図を書いて
今度伺う日程等を決めて
技術者が今度は配線作業などを
連携するわけです。
またなにかご紹介いただくときは、
私宛にご連絡をくださいとか
締めくくり、会社にもどるわけですが、
だいたい会社から近場でしたので
そのあとの連携は技術者担当に
責任者がおっとりしていても
かなり手早く仕事をこなす方
だったので、
連絡したらすぐに直行して
もらえて、感動しました。
私は普段
オフィスワークの仕事で
初外出でありました。
いまだに私のその時の
記憶とともに映像が浮かびます。
今その事務所は再開発で
様変わりしてしまい、
駅から見える建物に
思い出にふけること
また懐かしさが
こみ上げます。
一週間で引き継ぐ仕事に限界と
まわりの協力がなければ
あの仕事はマスターできなかった。
月初から10日までは残業当たり前で
21時まで数字が合わないと
残らないといけなくて、
ひたすら1人モクモクとやっていて
夢にうなされたり、またいつも流れている
あの曲を聞くたびに、自分の苦労を
超えていた日を思い出すので、
ヒットしていた曲が流れていたので
なぜか耳に残るわけで
あの時の辛さが曲で思い出す
なんとも言えないです。
我慢と継続の中には
周りの方の支えがあり
成長できたあのころの自分でした。
20代にこの土地でがんばって
いた証は思い出とともに色褪せずに
私の記憶の引き出しを開くと
鮮やかに蘇ります。
みなさんもいろんなことを
経験することたくさんあって
個々乗り越えていると思いますが
コロナ渦の今年も
かなりの変化があり
越えて行けるわけですね。
今年が越えていけるなら
次の年も越えていけますね。
盛りたてて
1人1人が意味のある道を切り開く
未来が待っていると信じてます。