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ごぶさたしております
最近
こちらでの活動はしておりませんでしたね
今年は想いのたけをぶちまけていこうかと考えています
先日見ていた栄養療法セミナーのアーカイブで色々感じたことを書きます
「コミュニケーションは思いやりではなくスキルである」
という講師の言葉は
自分に対して一種の救いのようなものとして刺さりました
人間関係において
かなりドライな感覚を持つようになった自分は
思いやりがないのでは?
と多少サイコパス風味を感じることもありましたが
そうではないのだと
「大抵の思いやりが相手にとっては迷惑」
講師の方
かなりブッコんだことをおっしゃっていましたが
これに関してもうなずけます
だいぶ昔の話ですが
被災地に千羽鶴を送って
それが現地の方にとっては気持ちはありがたいが物理的には迷惑だの
送っている側の気持ちは無視されていいのかだの
色んな意見が飛び交いましたが
それこそスキルの欠落から起こるミスコミュニケーションなわけです
「よかれと思って」
そこにスキルは入っていません
その方の主観のみです
そしてその方と相手は感覚が違うことが多いのです
それに対して
私の思いやりの気持ちを踏みにじるな
・
いらないと思っているものや行為を送られても
こちらのその気持ちはどうなるのだ
・
決着のつかないやりとりが繰り広げられるわけです
このコミュニケーションスキルは
現代においては学ぶことができます
このスキルを発揮したその先に思いやりが生まれるということだそうで
まずは自分のパーソナリティ
そして相手のパーソナリティの把握
その上での行動が初めて思いやりにつながるのだと思われます
因みに私が今回題材にしたおおもとのセミナーは
再度書くと「栄養療法」のセミナーです
栄養を整えるだけでは健全な体は手に入りにくいということはわかってきており
不健全な体を作ってしまう一因として精神的なストレスが挙げられます
大抵のストレスは対人関係ですから
ここにも踏み込んでいきましょうというのが
私が学ぶ栄養療法のスタンスでございます