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42歳。ブラジャーするの、やめました。
突然ですが耐え難い肩の痛みの為、今年から本格的にブラジャーを辞めました。ワイヤーレスとかブラレットでは無く、完全にニュートラルです。
フリーダムです。クーパー靭帯ものびのびとしています。
でもこんな話をすると実際に会った時に私の乳首さんに注目が集まり、お話に集中出来なくなる方もいらっしゃるかも?なので、外出時には授乳期用の薄茶色のオーガニックコットンパットをキャミソールに着けていますので、ご安心下さい。
この記事に共感する方の参考になればと思い、私の歴史をnoteします。
私のおっぱいとの奮闘の歴史
この話を先日幼稚園の保護者会でした所、「おっぱいがフリーダム」な言葉だけが響いてしまい、それだけ日本の女性は第二次性徴期の時からブラジャーを365日着用していて、(最近はナイトブラもしている人も多い)お胸のお肉をお椀に入れ込む事が日常の動作なのだと思います。
私の胸は大きめで成長しましたが、性の目覚めがとても遅いアニオタ小学生女子だったので、中学生になった時に男子からの謎の注目に耐えられずサラシを巻いたり、母に当時は高価なブラ(ワコールのホックがいっぱいある甲冑みたいな胸を小さく見せるブラ。)を買ってもらい、女子の群れに馴染んでいました。
それから思春期のアレで生理が止まるくらい過激なダイエットをしてしまい、胸はシューンとしぼみ、そこからは普通のおっぱいとして活動してきました。授乳というイベントがあるまでは。。
授乳期という胸のトランスフォーメション
息子は大量に乳を必要とする強靭な肉体で産まれてきました。
最初はあまりにも授乳時間が短かったので、ちゃんと飲めていないのでは?と焦って助産院に駆け込んだ所、息子の吸啜力がアスリート並みで短時間で大量の母乳を摂取していました。彼に合わせる様に私の胸は拡大し、赤子の頭を埋め尽くすミルクタンクへと進化しました。拡大と収縮、生産が追いつかず、全方位に引っ張られる私のミルクタンクは授乳が終わる頃にはクーパー靭帯の生存確認は出来ませんでした。
もちろんケアはしていました。ウェレダのクリームで保湿、肩が痛くても授乳ブラを着けていましたが、進化したものは戻らないのです。
それからの数年間は自然の摂理に逆らうように、胸筋と背筋の筋トレ、伊勢丹のランジェリーコンシェルジュに行ったり、ブラデリスのお高い補正ブラを購入したり、寝るときもナイトブラ、涙ぐましい努力を重ねてきました。
それでも合うブラジャーは見つからず、毎日酷い肩凝りに悩まされて、数ヶ月前から顎関節症が発症して、もうブラジャーを着けるという拷問に耐える事が出来なくなったのです。
ブラブラ、のびのび、ありのままでいる事のセルフコンパッション。
「ブラをしないとどうなる?」と検索すると、垂れる、見た目が悪くなる。そのような検索結果しか出ません。こんな良いブラがありますよ?←購入ボタン。そんなものです。
でも私の胸が垂れる事で不幸になる人は誰もいない。私だけがその事実を受容すれば、私のおっぱいに愛が訪れる事を悟ったのです。
会社から帰宅して即時にブラを外す時の開放感や、スウェーデンに住んでた時に友達のほとんどはスポーツする時と夜のお誘い以外にブラしてなかった事に違和感を感じていたものの、「外出時はブラをする」事がいつの間にかマナーになっていました。
もちろん美しいバストラインは若さの象徴であり、それを保って美しい身体を慈しみ大事にする事に何も異論はございません。素敵です!
要は人それぞれなのです。
私だけ江戸時代のままなのです。
私にとって、ブラをしないという選択は自分を甘やかす事ではなく、もうその必要が無いと内側の声に耳を傾けられた事が私には大きな思いやりの行為なのです。
とはいえ、ポートランドの様にボディポジティブムーブメントが強く、ジェンダー多様性の壺の様な街ではノーブラは違和感の無いスタイルですが、東京ではストレスかもしれないので、涙が出るほどお高かったブラデリスの補正ブラは夏の薄着の上京時にとっておこうと、念の為!
まだまだ勇気が足らずな私で申し訳ございません。
次回はリライトし続けている、ポートランドのセクシャルマイノリティ紀行をnoteを投稿したいなと思います。
遅れましたが2025年🐍がみなさまにとって晴れやかな一年でありますように。
Love & Inspiration
そもそも縄文〜江戸時代まで長らくブラをしない生活様式だった、なで肩の日本人女性。着用の有無を問わず肩の荷を下ろしてゆったりして欲しい。