タイミングは、人それぞれ。自分のそれを感じて、動く。
神社が、好きだ。
年末になると、一年の節目として神社にお参りする。
大晦日から三が日などは、どこも人出が多すぎて行く気になれない。周囲の人に圧倒されて疲れてしまうだけなのだ。
かといって、お札を収めるのがお正月4日以降になるというのも、なんだか気持ち悪いので、年末のどこかでお札を納め、一年の御礼と新年の心意気を伝えるような時間をつくる。
12月22日の冬至、その前日に参拝した神社がいたく気に入ってしまい。
自転車で行ける距離ということもあり、今日お札を納めるとともに、正式参拝をしてきた。この時期に。
本殿へあがり、正式参拝したのはもちろん私一人。
神主様と私の二人だけで、粛々と儀が進行していった。
気持ちが良かった。
自分の内側に意識を向けることができて、美しい時間だった。
こういう時間が好きだ。
この場と時間が自分のためだけに準備されているような、この特別な感じが最高だ。
これは、元旦に、三が日のうちに、と、おおよそ「そういうもんだ」という世の中のそれに、ただただ反射しているだけでは作り出せない時間だ。
自分の感覚を味わってみて、心地よさを感じるかどうか。
行きたい、と、いつ感じ取るかどうか。
感じ取った時が、その時だ。
それが元旦でなくても、三が日でなくとも、新年まであと5日というこんな年の瀬な今日という日にそれを感じ取ったのなら、その時が、タイミングなのだ。
私の、タイミングなのだ。
神社に詳しい方から、だいぶ昔に聞いたことがある。
作法とか、時期とか、「そうじゃなくちゃだめだ」という意識になった途端に、神様から離れて行ってしまう。
囚われるのではなくて、委ねてみる。
自分の感覚を信頼してみる。
それが神様が一番望むところだと。
作法や時期が一般的なそれと違ったからといって、ご利益がなくなるというような、そんなちっぽけな存在ではありませんよ、神様は、と。
それがいつも頭の片隅にあって、安心感をいただいている。
八百万の神々は、いたるところに宿っている。
Day14