大好きなものを、大好きだ!と言える健やかさよ。
自分が好きなことを、好きだ!と言えること。
自分がオススメしたいことを、オススメだよ!と言えること。
簡単なようで、私にとっては実に難しいことだった。
なぜなら、それを言って「怪しい」とか「変なの」とか「気持ち悪い」とか言われてしまったら…。私自身を否定されてしまったようで悲しいし、傷つく。痛いのが嫌なのだ。(高校時代剣道部で散々痛かったけどさ。)
いや、だから、「チョコレートケーキよりモンブランが好き!」とか、「海より山が好き!」とか、「沖縄より北海道が好き!」みたいなことは、割と簡単に言える。それで「変なの~」と言われることはほとんどないし、もし言われたとしても傷つくというほどには至らない、ということをどこかで感じ取っているからかもしれない。
それは、つまり。
傷つかない程度のことだから。
あんまり重要じゃない、といえば語弊があるかもしれないけれど、表面的な表現なので浅くて済む、という感じかな。
それと比較して、私自身を丸ごと否定されたようで、悲しく、傷ついてしまうような痛みを伴うそれというのは、深さがある。
深さというのは、自分にとって重要なこと。本質的なこと、根幹。
自分というひとりの人間を構成する重要な要素であり、それなくしては自分を語れないような柱となるもの。
私にとってのそのひとつが、AFP(Art of Feminine Presence)。
認定ティーチャーとなり、自分でシェアし始めてから1年が経とうとしている。
これは「意識のヨガ」とも言われるように、「意識」を扱うので、もちろん目に見えるものではなくて。
Don't think, feel !
を地で行く、そんなエクササイズの数々。
私にとっては、今まで感じていた無数の生きづらさを、丸ごと宝物に変換してくれたツール。
簡単だけれど深くて、生きる世界は自分で創り出しているんだよ、ということを思い出させてくれた救世主。
それほどAFPと出会えたことは私にとって奇跡だったし、まぁ必然でもあるのだけれど、とにかく大切でかけがえのないもの。もう手放せないツール。
たくさんの人にシェアしたい!
特に、私と同じように繊細な感性をもち、刺激に対して敏感な気質(HSP)の人にとっては、自分のその感性を最大限に生かす最強のツールにもなり得るから。
でも言語化をして発信をしていくと、なかなか伝わりづらいし、誤解されているなと感じる場面もあったり、それこそ「怪しい」という一言で一蹴されてしまったり…。
私にとって大切で重要なものだからこそ、そう言われてしまうと自分を丸ごと否定されたようで悲しくなる…。
じゃぁ、自分の内側だけにとどめて秘密にしておいたらいいのかな?となりがちだけれど、そうじゃ、ないんだよね。
本当に素晴らしいものは、たくさんの人に知ってもらいたい!ってなる。
例えそれで自分が傷つくことがあったとしても。
そこは、私自身の自意識が、健全に育まれてきている証拠だと思う。(これについてはまた長くなるので後日。)
目に見えないものだけれど、確実に存在して影響を及ぼしているもの。
それがあることはもうみんなわかっているはずなのに、目に見えなかったり説明できないということを理由に、スピリチュアルという言葉で片付けて、目を向けようとしないのは、とてももったいないことだと思う。
呼び名は何でもよいけれど、見えないけれどすっごい力をみんな全員搭載して生まれてきているんだよ、ってこと、思い出したら最強なのに。
うん、いいんだ。わかってもらえなくてもいいんだ。
どう私一人が頑張ったところで、みんなに伝えることができないこともよく分かってる。(伝わったらいいなとは思っているけれど…。)
そして、全員にそれが必要だとも思えない。だって、やりやすいやり方は人それぞれだし、どんなやり方だっていいんだもん。その人が心地よく、楽しくいられたら。それが一番なんだから。
だからこそ、なんだけど。
必要な人には届くようになっていると思うの。必ず。
必要な人は、気付いていると思うの、もうすでに心や身体が反応しているはず。それはもしかすると、抵抗という名の居心地の悪い、モヤモヤしたりイライラしたりするそれかもしれない。実際私もそうだったしね。
だからそれを味わって。そこから逃げないで味わい尽くして。
それで、もし気になるようだったら、私はこんな場をシェアしているのでいらしてみてください。丸ごとすべてが受容される場。
(あなたが感じたり思ったりすることをすべて尊重し、一切の強要や強制が無いことをお約束します。)
丸ごとすべてが受容された、と感じられた時、身体がどんな感覚になるのか?心が何を感じ取るのか?それを体感するだけでも、大きな価値があることだと私は思うよ。
Day11