11/1095 信頼という視点で世界を見るということ
信頼というのは、楽観的であることとイコールではない。
信頼というのは、悲観的になることも、絶望することも、悲しむことも、嘆くこともあることを許し、受け入れ、それでも大丈夫だという視点である。
それは、そう「思う」ということとも少し違っている。思うのではなくて、そう「在る」ということ。在るというのは、それが自分の体の細胞一つ一つにしみこんでいて、存在そのものでそれを体現しているということだと思う。だから頭で考えるというプロセスがなく、当たり前にそれが体現され、オーラとして発せられているということだと思う。
そしてそれは、自分自身ではわかりづらいものでもあり、「私は大丈夫できている」と公言するほどに、怪しい状態だとも思っている。誰かに言うものでも、認められるものでも、ないからだ。
ただただ、そう在るということ。
仙人みたいだけれど、別に仙人になるというわけではなくて、自分の感覚を研ぎ澄ませて、そこに嘘をつかずに生きているということだとも思う。たとえ嘘をつくことがあったとしても、嘘をついている自分に気付いていること。本当は違うんだよな、ということにも正直であること。要は自分が自分に対して正直で在れるかどうかだとも思う。
情報や雑音は様々な意見が飛び交う日常において、これはなかなかチャレンジングなことだ。けれど、その環境の中で自分の声に耳を澄ますこともまた、とても清々しいことだとも感じる。背伸びせず、見下ろすこともなく、奢らず、正直にあること。
環境問題に絡めて、地球が泣いているというような表現を目にすることがあるけれど、私はどうしてもそうは感じない。地球(だけではなけれど)はもっともっと大きなパワーを持つ存在だから、そして圧倒的な包容力のある存在だから、泣いているようには思えないのだ。かといって喜んでいるわけでもないけれど…。
というようなことを声を大きくして発言することは私はないけれど、でも自分の中にあるそういう思いに気付いていること、awakeningはとても大切なことだと思う。そして自分が感じていることとして、言葉にして表現していくこともまた、大切なことだとここにきて感じている。
こうしたこともこの毎日noteで表現していけたらと思っているので、より自分のことを知っていくいい機会だと思ってる。
あどまーに!
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