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Golden Week

鬱持ちにはつらくて長い冬が去り、窓の外は輝かしい5月。一年で一番美しい5月。私は5月に生まれたことを(胎内にいるときから怠け者でギリギリ30日にこの世に出てきた)誇りにすら思っている。

5月の新緑と青い空は、新しいことへ向かっていく気持ちを後押ししてくれる。風は爽やか。生きる喜びを感じる。なんてシンプルな私。

将来の自分のために、いろいろ勉強を始めている。ある講座の、半年間のオンライン授業を取った。序盤のリテラシー教程は退屈だったがなんとか終えた。次のステップからいよいよ本格的な内容に入っていくのだが、ハードルが高く感じて、ゴールデンウィークには着手してしまおうと決めていたのに、連休も後半に入った今日、いまだに手つかずでいる(さすがに今日こそやる…やらなきゃ…)。

これも、スタートさえしてしまえば流れにまかせて進むだけだろうと思っている。肝心のスタートが、いつもハードルが高い。未知のことに対する腰が重いのは悪い癖。好奇心だけはとても強いのだけれど。

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一年前のゴールデンウイーク最終日に妹にBTSを教えてもらって一気にはまった。ただ日々をこなすように生きていただけの生活にみるみる色がついていった感じだった。自分でも異常だな、と思うぐらい動画を漁りまくった。YouTubeに無料で見られる彼らの動画が山ほどあって、夢中になった(沼ってやつ)。好きで好きでたまらないなーと思ってたら、世界中の大勢の女の子達が同じように、好きで好きでたまらないと思っていて驚いた。

ジミンちゃんのダンスをみていたら、やっぱりダンスがしたかったのを思い出して、さっそく地元の駅ちかのダンススクールに申し込んだはいいけれど緊急事態宣言まっさかりで、解除を待って入会したのが6月。あれから約一年。クラスは私と同世代の働く女性が多くて、雰囲気もいい。去年のクリスマスには小さな発表会もやった。

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10年ぐらい前にも都内のダンススクールに通っていたのだけれど、インストラクターはスパルタ、生徒は幼い頃からダンスをやってきているような、踊りの筋からして違う高校生や、中には社会人もいたけれど高校や大学はダンスサークルにいましたという上級者が多くて、楽しむというよりも修行っぽい雰囲気だった。ストイック集団というか。無言のマウントやカーストもあった。例えばインストラクターが、自分のクラスの発表会には見た目が華やかでダンスもうまいメンバーしか出て欲しくないというようなことを暗に匂わせる発言をするような。人気インストラクターの発表会に出るということは、ちょっと覚悟のいることだった。一部のインストラクターは人気がありすぎて、生徒は彼らを芸能人みたいに崇拝して羨望のまなざしを投げていたし、彼ら自身もその自覚はあって、とても近寄りがたい人も中にはいた。

初級クラスでも私には何もかもが早すぎて、リズムには乗れるのに振り付けが全然覚えられなかった。先生が最後に上手な子だけを前に呼び出して、先生と一緒に踊ってレッスンを締めた。いつかは私も選ばれて踊れるようになりたい、なんて思ったけれど、まず振り覚えの悪さが絶望的だった。

毎週火曜日、仕事終わりに途中下車して通っていたのだけれど、肩にくいこむズッシリと重いバッグと、空腹で疲れ切った身体を抱えてダンススクールに着く頃にはぐったりしていたのも、モチベーション維持ができなかった原因かもしれない。「うまく踊れたら気持ちいいだろうな」という気持ちだけがただ寂しく募るばかりで、結局通わなくなってしまった。

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あれから10年。時代なのか、先生のアティチュードが当時私が通ってた頃の先生のそれとは全然ちがう。私が今習っている先生は、一人一人のできないところを指摘しない。「こうするともっといいです」と正しいやり方を教えてくれるだけ。私からしたらたいしてうまくも踊れていないと思うのに、嬉しそうに拍手して「いい!いい!」って言ってくれる。意識してそうしているというより、そういう人柄なんだろうという感じ。

私が習っている先生だけなのかと思っていたらそうではないようだ。たまに代行で来る先生たちも、みんなそんな感じ。ダメと言うのではなく、「こうするともっといいよ」って感じの指導。私と先生との年齢差が大きくなったのも理由の一つだとは思うが、世代が変わった感じを肌で感じている。

プレッシャーを感じずにダンスができているし、何より驚きなのが、あんなに振り覚えが悪かった私なのに、今、振り覚えで悩むことが全くなくなった。先生が何回も繰り返しゆっくりやってくれるし、聞きやすい雰囲気がクラスにあるのが何よりありがたい。

ともかく、毎週日曜日のダンスクラスが楽しみで仕方ない。なぜか日曜日は寒い雨の日が多いのだけれど、ちょっとのめんどくささを押してクラスに行ってしまえば、やっぱり来てよかった!となる。

運動神経は悪いんだけど、身体を動かすことが大好き。音に乗るのが大好き。懐かしい自分を発見できて嬉しい。おばあちゃんになってもダンスは細く長く続けたいなと思っている。

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ある人に、「あなたの胸の中には、将来どうありたいとか、なにを実現したいとかいうものが全く何もないのね」と言われて、そのことがずっと私を焦らせていた。胸の中ががらんどう。

普通(普通という言葉は嫌いなのだけれど)、みんな胸の中に「こんな風になってみたい」「これを実現させたい」みたいな明確な目標みたいなものが存在しているものなのだろうか?

これまでただやみくもに価値のない恋愛に溺れたり、嫌すぎて次の行き場も決まらないうちに仕事を辞めたりと、つんのめるように破滅的に生きてきて、それでも「なんとかなるさ」という根拠のない自信も30代で尽きて、そういう生き方は全く自業自得でしかないのだけれど、きっと、夢とか希望とか、そんなものを持つ「きっかけ」がずっとなかっただけかもしれない。

結婚の予定がうまくいかなくなって2020年の終わりに帰国して、仕方がないから始めた仕事がとても自分に向いているものだったこと、自分が何が得意なのかがはっきりわかったし、今後に繋げていけそうなキャリアをこの1年で築くことができたことは大きな収穫だった。偶然のようだけれど、あのときただ経験があるからというだけの理由で、昔嫌で辞めたのと同じ業種の仕事ばかり紹介された時にそれに乗らないで、新しいことに乗ってみた自分にBrava!!!と言ってあげたい。

人生は時に思った方向にはいかず、失意に嘆いてなかなか立ち直れないことも多い。でも動機はどうあれ、そしてたとえただの偶然の積み重なりだったとしても、動いた結果手に入れられたものは大きいということもある。

大変ではあるけれど、今の仕事が自分の特性に合っていて楽しく働けている。ふと気づくと、今まで恋愛至上主義だと思っていた自分は、そうではなくてただ「注ぎ込める」ものが欲しかっただけだったんだと気付いた。

ざっと一年振り返ってしまった。誕生日月ってなにかと人生振り返る。いい感じで進めてる自分を実感できている。私は年甲斐もなく自分を貫くスタイルで生きているのだけれど、そういうのもとてもいいので、ぜひ続けて欲しい。ずっと素敵な自分でいたい!

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Mio | エッセイ
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