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19歳で青学を中退して旅人になった話
はじめまして。東京でヴィーガンチーズを作っている、森美音(みおん)です。
今日はわたしが高校卒業してから大学に入り、中退し、まさかの旅人になった時の話をしてみようと思います。
(追記)思ったより長くなっちゃったので、今日は高校卒業〜セブ島留学編です。
それでは、どうぞ!
とにかく大人になりたかった18歳
千葉の高校を卒業して青山学院大学に入学したわたしは、とりあえず毎日表参道の地を踏めることが嬉しすぎて、最初の数ヶ月は毎日ノリノリで大学に通います。
ただ、入学式の時点でうすうす気付いてたのは
「わたしここ、居心地悪いかも…」
っていうこと。今になって考えても自分が ”陽キャ人口が日本一” の大学に入学したところから意味不明なのですが(笑)、友達同士で学食でご飯を食べたり、飲み会に行ったり、流行の服や髪型を楽しんでる子たちを見るたびに、自分の「場違い感」をひしひしと感じていました。
もちろん、内向的でも、流行に敏感じゃなくても、自分の居場所を見つけて大学生活を楽しんでいた人なんてたくさんいたと思うし、「みんな」と「自分」なんて勝手にカテゴリー分けしていたのは他でもない自分自身だったので、今思えばただの被害妄想です(笑)
でも、その時のわたしはただただ「はやく抜け出したいな〜」と日々もやもやしていたんですね。
サークルにも入らなかったので、友達も全くできず。
「なんか大学ってちょーつまんない!こんなんで楽しいって感じてるなんて、みんなレベル低いんじゃない?」
みたいな超底辺の思想を持っていたわたし(ほんと、あのとき仲良くしてくれてた方々には謝罪)は、とにかくバイトに明け暮れる毎日を過ごします。
朝6時から授業の前→千葉のサンマルクカフェ
学校のあと→品川の居酒屋
土日→塾のチューターのバイト
これを繰り返していたのですが、一年生の後半からだんだんと感覚が狂いはじめ
”呼吸してる間ずっと時給欲しい”とかいう完全アルバイターモードに突入。
この3個のバイトに加え、居酒屋バイトが終わったあとの夜中から朝まで(夜にお酒を出す店)で働き、そのまま当時付き合ってた彼のお家に泊まり、そのまま登校→バイトといういみわかんない社畜っぷりを発揮しはじめます(笑)
この生活を送っていたことへの最大の反省点は、家族に相当な心配をかけていたこと。
一番覚えてるのは、ある日の昼間に荷物を取りに家に帰ったら、当時高校生の弟に遭遇し
「今楽しいのはいいけどさ、明日死ぬとしても同じことすんの?」的なことを言われ(弟は当時から大人すぎた)、その言葉にかなり衝撃を受けました。
確かに、自分こんな生活続けてても人生豊かにならないかも。。なんて漠然と思い始めたのがこのタイミングです。
人生を変えた1日
この時点でなかなかの厨二っぷりですが、その1ヶ月後くらいに決定的に人生を変えたある出来事がありました。
いつものように夜職のバイトに向かってる途中、銀座の街中でふと足が動かなくなって、物理的に「これ以上進めない」っていう感覚に陥ったんです。同時に突然涙が溢れて止まらなくなって、気づいたら道端でひとりで泣きまくっていました。
その瞬間、直感的に「もうこれを続けるのは無理だ」って自分の心が感じ取ったのかもしれません。その足で店長に「今日でやめます」って言ったおかげで、頑張って稼いだお給料がペナルティとして ほぼなくなってしまったけど、(普通に考えて店もグレーすぎる…)それでもいいって思えるくらいの、言葉にできない開放感を味わいました。
あれから5年以上経った今でも、あの時のあの感覚が、なにかを続けたりやめたり、始めたりするときの指針になっています。自分の心を無視して限界まで追い詰めるとどうなるか、身をもって体験したからこそ「もう2度と戻りたくない!」って本気で思うからです。
「大人になる」ってことは、自分の心を無視してとにかく経済的に自立することだって思い込んでいた当時の自分が、そうじゃない生き方を選ぼうを決心した瞬間だったのかもしれません。
勢いだけでセブ島に飛び立った19歳
小さい頃からディズニーチャンネルのハンナモンタナやハイスクールミュージカルに憧れながら育ったわたしは、生まれてからずっと「一生を日本で終えるなんてあり得ない!」みたいな気持ちがありました。
いつかは海外にいくんだろうな〜なんて漠然と考えたりはしていたけど、「いや、本当に行きたいかも!」と現実的に考え始めたのが、大学1年生の夏頃。
バイトばっかりしてたからある程度貯まっていてもおかしくないはずの貯金は不思議とほぼゼロ(汗)
それでも、頑張ってお金貯めて、アメリカに行こう!みたいな野望はあったので、たまに「アメリカ 留学 いくら」とか一応調べたりはしていました。が、もう費用が桁違いすぎて、なんか無理そうだな〜とも思い始めていた、そのとき。当時のバイト先の社員さんに話したら「セブは安くてよかったよ!」と教えてくれたんです。
「セブ」がどこかも全く知らないにも関わらず、なんとその場でその社員さんの教えてくれた語学学校に直接メールして、入学を申し込んだ18歳のわたし。。(とりあえず行動力だけはやばいほどあって、めちゃめちゃ変な英語で申し込んでたはず)
弟の一言と、仕事をやめた日の衝撃で完全に心を入れ替えたわたしは、嘘みたいに毎日家に帰って、しっかり親のお金を当てに(笑)無事セブの留学に飛び立ちました。
19年分の価値観が吹っ飛んだセブ島生活
今考えると、大学に入学してから留学当時のわたしは、どうしようもないくらい子供で、人生で一番とんがってた時期だったんですね。思春期と反抗期がかなり遅れてやってきてしまった、一番めんどくさいタイプの「こじらせ」系でした。
当たり前にみんなができる「あいさつ」や、「ごめんなさい」「ありがとう」を言えず、友達に対して好意や礼儀を示すことがなぜかまったくできず、留学先でもひたすら尖り続けてたわたし…(汗)
そんな中でも、日本と文化も、気候も、国民性も全く異なる国で生活していると、徐々に価値観がアップデートされていくのを感じるんです。
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↑住んでいた寮の中庭
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↑行きつけのハワイアンレストラン(もう移転してしまったみたいです泣)
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↑旅行で行った地方都市的なところ
毎日朝から夜までバイトしまくりの生活から一転、1日中自由に過ごせる常夏の時間を手に入れ、しかも同世代の友達もたくさんいて、心が一気に開放された感覚でした。
もちろん、2ヶ月間で今のレベルまで英語が喋れるようになるわけはなく、結局いつも同じ日本人の子たちと過ごしてしまっていたんだけど、
今考えたらあの留学の時間は、ひたすら自分と向き合うために必要な時間だったのかも。
好きな時間に起きて、お気に入りのプレイリストを聴きながら散歩したり、フレンドリーな現地の人たちとおしゃべりしたり、海に遊びにいったり、猛烈に好きな人ができたり(笑)
人として、人生を楽しむのに正解なんてないじゃん!てか、逆にこっちの生き方のほうが正解なんじゃない?って思い始めたわたしは、突然大学をやめることを決意します。
常夏のお気楽な生活から、また元の大学生活に戻らなくていい方法を考えて、一番シンプルな逃げ道を見つけ出したんですね。
めちゃくちゃ覚えてるのが、その話を留学先で一番仲良くなった友達に半分興奮状態で報告したら、めちゃくちゃ冷静な態度で
「ぜったいすぐ決めたらあかん。休学くらいにしとき」
って言われて撃沈したこと。(笑)
わたしの性格的には「鉄は熱いうちに打て」を忠実に実行してきた人生だったのでかなり不服だったのですが、なんとなく、「たしかに今の自分の状態で決断してもなんかいいことなさそうだな…」と思ったのでしぶしぶ”休学”にとどめることにしました。
結局一年後には”退学”っていう決断をしたものの、あのとき「いったん保留もアリ」という、自分の中では新しすぎる価値観を教えてくれたその友達には、今でもとっても感謝しています。
それから、2ヶ月の留学を無事終えて、新たな気持ちで日本に帰国。
もちろん反抗期は終了してたけど、「一人で海外にいってやったぞ!」っていう謎の達成感で、これからなんでもできるような、そんな気持ちになっていたわたしは、そこから新たな冒険を始めます。
【次回】19歳で青学を退学して旅人になった話2
につづく
美音