老親が自分の悪口だけは聞こえる理由と、レーガンさん
姉が母にプレゼントした電子調理鍋。
最近は押入れにしまいこまれていて、
帰省した姉は軽くショックを受けていた。
母は申し訳程度に使ってみたものの、
結局キッチンでオブジェ化させ、
ついに押入れに押し込んでしまったのだ。
足腰が弱い母が、
キッチンで立っている時間を減らせるし、
ガスのつけっぱなしも防げて
鍋を焦げ付かせる心配もなく、
簡単で、出来上がりはとっても美味しいし。
姉の思いは通じなかった。
あげたのが私だったら
喜んで貰えなかった、ともっと落ち込みそう。
それに勿体無い。
こんな、気持ちを揺さぶられる大小の出来事が、
時々ではなく、日々積み重なっていく。
そんな今日、見つけた記事。
80代後半、
わりと心身がしっかりしている(最近までは、していた)我が両親にも、
当てはまることが多い。
このお湯を沸かしているイラストの女性
(男性?)は、
ツンツンしている時の母にそっくりで可笑しい。
段々と見た目で性別が分かりにくくなるのは、
なぜだろう。
そう言えば新生児や乳児も、しばらくは男女が分かりにくい。
話を高齢両親に戻す。
悪口は言っていないつもりの場面でも、
父は俺の悪口か、とセンサーがはたらく。
先日はケアマネと私が話していても「それは私が心許ないってことですか」と困った顔で割って入って来たし
私が娘を嗜めたり叱っていると、
たびたび「なんだ?俺のことか!?」と過剰に反応する。
うっとおしい。
その過剰反応、防衛反応の仕組みが、
とてもわかりやすく書いてある。
老いていく親も不安の只中にいるし、
それを見ている子どももまた同じ。
その葛藤を乗り越える時間が
移行期だと、まとめられていた。
昔、確か社説で読んだ“ロンググッバイ”を思い出す。
認知症に罹ったレーガン元大統領のエピソードだった。
読んだ当時は小論文の練習をしていたので
遥か昔のこと。
こんなお別れは辛い、嫌だと思った。
果たして私も、安心して老いを迎えられるのか。
そこまで思いは飛んでいった。
自助努力だけに任されたこの国で、
老いた時、
子どもに情けない思いばかりさせたくない。
それは両親とて同じようだ。
社説を見たおそらく十代の頃から、長い時間を経て、
私は“長いお別れ”の当事者になっている。
たじろぐ間もなく。
二人揃って老いの姿を見せてくれる両親から、
きっと学ぶことがあるのだろう。