物書きの苦悩
今回は物書きの端くれの苦悩話みたいなもの。
エッセイを書いていると、無駄に堅苦しい表現になってしまう癖に、文章内に口語と文語が平気で入り乱れていて、書いた後に何だこれ!って思う事が多々ある。
ら抜き言葉「だけれど」→「だけど」とか、気を抜くと、すぐに言葉が口語になる。「やっぱり」とか「すごく」とか「じゃない」とかも普通に使ってしまう。いまだに、口語と文語が完全に区別が出来ない。
そうかといって、堅苦しい文語のみのエッセイなんて読んでいて疲れそうだとは思うんだけど←これも、本当は「思うのだけれど」なのか?
「思うのだけれど」なんて、何か変じゃない?
それ以前に、「思う」という主観の文章で文語を使うと違和感があるのは当然か。今までは客観的と主観的と2種類の文調がある事を意識したことすらなかった。
Webライティング技能試験の試験勉強をしたのは、こういう文章の基本ルールを学びたかったというのもあった。
ちなみに、このnoteの記事(つぶやきを除く)を書く時は「(笑)」や「www」(今は草か) は意識して入れていない。昔、個人ブログを書いていた時は、これらの文字をふんだんに詰め込んでいた。本当の事を言うと今でも入れたい。
それは、文章の後に(笑)などを入れれば、ウケポイントを書いていると楽に伝わりやすいから。あと、(笑)がないと真面目に言っているのか、冗談で言っているかが分かりづらく、誤解を招きやすい。
でも、個人のやり取りならともかく、こうして記事として上げている文章に、(笑)や「www」を入れてしまうと、ただでさえ薄っぺらい文章が更に薄っぺらく見えてしまうので我慢している。
その他、挙げ出せばキリがないほど、様々な事に悩みながら書いている。
結局のところ、個人的にはルールにがんじがらめになって、堅苦しくなるよりは、ラフで楽しい文章を書きたい気持ちの方が強い。でも、一応世に出している文章なので、あまりにもルールに反している恥ずかしい文章は書きたくない。
文章に最適解があるとは思わないが、少しでも読みやすいように、多くの人が惹き込まれる文章を書く為に毎日、四苦八苦している。きっと、この道にゴールはない。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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