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小指だけつないで

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同じ時間を生きる誰かに起こる、あるできごと。 長い人生のうちのあるワンシーンを切り取った短編小説。
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小指だけつないで(4/4)

小指だけつないで(4/4)

 考えようによっては、五歳の女の子がおれのために一人で駅まで傘を届けてくれた、というだけでも、もしかしたらすごい進展なのではないか。
 なぜかこのことに一筋の光を見出したと言ってもいいくらい、可能性を信じたいと思った。
 もしかしたら綾子も、最後の賭けのつもりで実那を送り出したのかもしれない。
 実那のおつかいの動機が、お気に入りの雨のファッションを楽しみたかっただけだったにしろ、おこづかいやご褒

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小指だけつないで(3/4)

小指だけつないで(3/4)

 坂を上りきったところで、実那が足を止めた。
 疲れたので一休み、というところか。
 おれもそこで足を休め、立ち止まったままの実那の小さな傘の下を、こっそり上から覗き込んだ。
 実那は左側に顔を向けて、何かを熱心に見ている。
 植込みの切れ目から、坂の下に広がる街の灯が見えた。

「へえ、いい眺めだな」
 思わずそう感想を漏らしてしまうほど、高台から望むその景色は、なかなかのものだった。
 昼か

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小指だけつないで(2/4)

小指だけつないで(2/4)

 雨の雫が、傘の上でバラバラと音を立てて跳ねる。
 無言で坂を上りながら、足元を用心深く見守った。
 五歳の実那にはこの坂は少々きついようで、ふうふう肩で息をしながら懸命に足を持ち上げている。
 抱き上げたり背負ってやりたいのは山々だが(その方が自分も早く歩けて楽だ)、残念ながら簡単にそうできない事情が、お互いにあった。

 コーヒー豆の販売会社から営業回りで担当のスーパーに顔を出すうちに、そこ

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小指だけつないで(1/4)

小指だけつないで(1/4)

 改札口を通り抜けたところで、無数の銀の糸が街路樹の葉を滑り、アスファルトを濡らすのが見えた。
 売店でビニール傘を買い求める人の列に連なろうとして、ふと思いとどまった。
『もう置く場所ないからね』
 先月も急な雨にビニール傘を買って帰り、しっかり者の綾子に玄関の傘立ての傘の束を見るように言い渡されたのだ。
 駅から続く上り坂の向こうは灰色の雲が切れてわずかに明るい。
 少し待てば止みそうな様子だ

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